ジム・クレイグ (アイスホッケー)とは? わかりやすく解説

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ジム・クレイグ (アイスホッケー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/16 18:36 UTC 版)

獲得メダル

レークプラシッドオリンピックで彼が使用した防具
男子アイスホッケー
 アメリカ合衆国
オリンピック
1980

ジム・クレイグ英語: Jim Craig、本名:ジェームズ・ダウニー・クレイグ(James Downey Craig、1957年5月31日 - )は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州イーストン出身の元プロアイスホッケー選手。ポジションはゴールテンダー

経歴

アマチュア時代

高校時代注目されなかったため、マサソイト・コミュニティ・カレッジに進学、そこでボストン大学ジム・パーカーに見いだされ同大学へ進学し[1]、1977年には大学のアイスホッケー部をNCAAディビジョンIで優勝させた[2]。また1979年にはNCAAのオールスターにも選ばれた。

1980年2月に開催されたレークプラシッドオリンピックアメリカ合衆国代表に選出れた。同大会ではソビエト連邦ロシア語版を破り、「氷上の奇跡」と呼ばれた試合がある。同試合でクレイグがゴールをり、アメリカ合衆国のシュートが16本だったこの試合でボリス・ミハイロフに率いられた強力な攻撃による42本中39本のシュートをセーブし[3]、試合は4-3でアメリカ合衆国が1点差で勝利した。クレイグが身につけていた装備はニューヨークマンハッタンにあるスポーツミュージアムに展示されている[4]。ソビエト連邦戦の2日後に行われたフィンランドとの試合を4-2で勝利し、アメリカ合衆国代表は金メダルを獲得した[2]

プロ生活

1977年のNHLドラフト英語版全体72位でアトランタ・フレームスから指名され、入団した。デビュー戦は勝利したもののNHLの試合での活躍はならなかった。

翌シーズンから地元チームであるボストン・ブルーインズに入団したが、控えゴールテンダーであり、プレーオフでは出場機会を与えられなかった。

1981年のカナダ・カップのアメリカ合衆国代表に選出されたが、負傷のためトーナメントに出場することはできなかった。

翌シーズンはマイナーリーグのエリー・ブレイズに在籍した。1983年の第43回アイスホッケー世界選手権英語版のプールBに属するアメリカ合衆国代表に選出された彼は活躍を見せフリーエージェントとなっていたがミネソタ・ノーススターズとの契約にこぎ着けた。ノーススターズでは3試合に出場した後[5]、1984年に現役を引退した。

1989年にはボストン大学の殿堂入りも果たした[6]

詳細情報

表彰

  • ECAC 1st オールスターチーム (1979年)
  • NCAAイーストファーストオールアメリカンチーム (1979年)
  • アイスホッケー世界選手権プールB オールスターチーム (1983年)
  • 国際ホッケー殿堂 (1999年)

代表歴

  • 1979年アイスホッケー世界選手権アメリカ合衆国代表
  • 1980オリンピックアイスホッケーアメリカ合衆国代表
  • 1983年アイスホッケー世界選手権アメリカ合衆国代表

脚注

外部リンク




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