ホーミJバーバーとは? わかりやすく解説

ホーミ・J・バーバー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/17 15:19 UTC 版)

ホーミ・J・バーバー
Homi Jehangir Bhabha
ホーミ・J・バーバー(1960年代)
生誕 (1909-10-30) 1909年10月30日
イギリス領インド帝国 ボンベイ
死没 (1966-01-24) 1966年1月24日(56歳没)
フランス モンブラン
居住 インド ニューデリー
市民権 インド
国籍 インド
研究分野 原子核物理学
研究機関 インド原子力委員会英語版
タタ基礎研究所英語版
キャヴェンディッシュ研究所
インド理科大学院
Turmbay Atomic Energy Establishment英語版
出身校 ムンバイ大学英語版
ケンブリッジ大学ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジ
博士課程
指導教員
ラルフ・H・ファウラー英語版
他の指導教員 ポール・ディラック
チャンドラセカール・ラマン
主な業績 インド原子力計画
宇宙線シャワー
点粒子
バーバー散乱英語版
主な受賞歴 アダムズ賞 (1942)
パドマ・ブーシャン勲章 (1954)
王立協会フェロー[1]
プロジェクト:人物伝
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ホーミ・ジャハーンギール・バーバー英語: Homi Jehangir Bhabha, 1909年10月30日1966年1月24日)はインド物理学者。インドの原子力開発に大きな貢献をした。

生涯

ムンバイ生まれ。裕福なパールシー(ペルシャ系インド人)のゾロアスター教徒であり、インドの2大財閥のひとつのタタ財閥一族を親類に持つ。叔母メヘルバイはタタ2代目会長ドラブジーの妻で、バーバーはタタ家へ頻繁に出入りし知見を高めたという(夫妻に子供はなかった)。ケンブリッジ大学で機械工学を学び、ポール・ディラックに影響を受け理論物理学に進んだ。1935年、ケンブリッジ大学で学位を得た。宇宙線シャワーの分野で功績をあげた。1939年インドに戻り、バンガロールインド理科大学院チャンドラセカール・ラマンのもとで働いた。

1941年王立協会フェロー選出。1945年、ムンバイに当時のタタ会長J・R・D・タタの援助を受けて、Institute of Fundamental Research を設立し所長となった。戦後、ジャワハルラール・ネルー首相の知己を得て、インドの核エネルギー開発のリーダーとなり、多くのインドの核物理学者を育成し、国際的な活動を行った。

1966年ヨーロッパへ向かう航空機の事故(インド航空101便墜落事故)で死亡した。

バーバー原子力研究所(BARC:w:Bhabha Atomic Research Center)はバーバーの功績を記念して名づけられた。また国際純粋・応用物理学連合により2011年にHomi Bhabha Medal and Prizeが創設された。

出典

  1. ^ Penney, L. (1967). “Homi Jehangir Bhabha 1909-1966”. Biographical Memoirs of Fellows of the Royal Society 13: 35–26. doi:10.1098/rsbm.1967.0002. 

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