ホワイトタワー (テッサロニキ)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ホワイトタワー (テッサロニキ)の意味・解説 

ホワイトタワー (テッサロニキ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/02 00:49 UTC 版)

白い塔
ギリシア語: Λευκός Πύργος
英語: White Tower
概要
建築様式
自治体 テッサロニキ
ギリシャ
座標 北緯40度37分34.93秒 東経22度56分54.34秒 / 北緯40.6263694度 東経22.9484278度 / 40.6263694; 22.9484278座標: 北緯40度37分34.93秒 東経22度56分54.34秒 / 北緯40.6263694度 東経22.9484278度 / 40.6263694; 22.9484278
完成 15世紀 - 16世紀頃
寸法
主塔:直径23m × 高さ27m
他の寸法 櫓:直径12m × 高さ6m
技術的詳細
構造方式 石造建築構造
テンプレートを表示

白い塔ギリシア語: Λευκός Πύργος)はギリシャ テッサロニキテルマイコス湾沿いに建てられている塔で、同市のランドマークでもある。12世紀頃の東ローマ時代に建てられたと言われている古い塔を取り壊した後、オスマン帝国時代に港を囲む城壁を作るときに改築され、最初は砦として、後に牢獄として使われた。1912年にテッサロニキがギリシャ領になった時に塔は改修され、洗浄され白さを取り戻した姿から「白い塔」と呼ばれるようになった。

周壁が存在したかつての姿(1912年)

白い塔は直径は23m、高さ27mの円柱形の主塔の上に、直径12m、高さ6mの櫓が乗る形態である。内部は6階分の床があり、銃眼はそれぞれの階および内部の螺旋階段に沿って割り付けられている。絵画などによれば、かつては円錐型の屋根が付いていた。1917年ごろには円錐屋根が撤去され、同時期に主塔の3倍の直径があった8角形の周壁(塔を囲む城壁)も撤去されたと考えられている。

歴史

テッサロニキが東ローマ帝国ヴェネツィア共和国支配地域であった時代、この塔のあった位置には港の東側の防衛ラインを守るための砦(初代の塔)が存在した。この初代の塔は、1185年のテッサロニキ攻略(Sack of Thessalonica)を記したテッサロニキ総司教Eustathiusの記述に残っている。

1430年にオスマン帝国皇帝ムラト2世が率いる軍により、テッサロニキが同国の領土に編入された後、(現在の)塔が建造されたと考えられている。1912年に、塔の入り口の上部より「1535年から1536年」と刻まれた石が発見されており、ドイツの歴史学者Franz Babingerは、この塔はトルコの著名な建築家ミマール・スィナンが、1537年にアルバニアのヴロラに建てた塔と同時期に建てたと推測している。

オスマン帝国時代、塔は当初は砦として用いられ、後に牢獄として使われていた。1826年、時の皇帝マフムト2世は、反乱を起こしたイェニチェリ(歩兵軍団)の兵士をこの塔内で処刑した。そのことから、「血の塔」などと呼ばれることになった(「幸運な事件」参照)。

何世紀もの間、塔は旧市街を囲む城壁の一部として存在していたが、1866年に城壁が撤去されるとともに現在のような単独で立つ形式となった。第一次バルカン戦争の結果、1912年にギリシャ領となった後に改修が行われ、塔の表面を洗浄して建設当時の白さを取り戻した。このことにより、現在の名前「白い塔」が与えられた。現在、塔表面の色は再び茶色く変色しているが、呼称は変えられていない。塔の内部はテッサロニキの歴史を展示する博物館となり、同市の主要な観光地となっている。

現地へのアクセス

  • テッサロニキ新駅から2.6㎞南東
  • 水辺沿いのニキス大通りに「Λευκός Πύργος(白い塔)」バス停あり

関連項目

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ホワイトタワー (テッサロニキ)」の関連用語

ホワイトタワー (テッサロニキ)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ホワイトタワー (テッサロニキ)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのホワイトタワー (テッサロニキ) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS