ホランド・アメリカ・ラインとは? わかりやすく解説

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ホーランド・アメリカライン

(ホランド・アメリカ・ライン から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/23 23:52 UTC 版)

ホーランド・アメリカ・ライン (Holland America Line) は、アメリカシアトルに本拠を置くクルーズ会社。通称はHAL。カーニバル・コーポレーションの子会社である。創業は1873年、オランダ・ロッテルダムにて設立された。現在は中規模のプレミアムクラスのクルーズを提供しており、現在の旗艦船は2021年に就航したロッテルダム(7代)である。

特にアラスカ航路に強みを持つ同社は、傘下にアラスカ全土でホテル業を営んでいるウエストマーク・ホテルズを支配下に置く[1]アラスカ鉄道に自社の展望車であるマッキンリーエクスプローラーを連結、観光地ではHALのロゴがついたバスを始終走らせる。クルーズ会社としてアラスカ観光分野での存在は古く、グレーシャーベイ国立公園でのシーニッククルーズを行う回数は他社と比較して最多である。

歴史

1871年2月8日、ロッテルダムで設立されたプラッテ・ロイヒリン合資会社(オランダ語: C.V. Plate Reuchlin & Co)が、母体である。1873年4月18日にアメリカとヨーロッパを結ぶ海運会社、ネーデルランス・アメリカーンス・ストームファールト・マーツファッペイ(NASM:Nederlandsch Amerikaansche Stoomvaart Maatschappij、ネザーランド・アメリカ・スチームカンパニー)が設立され、これが公式の設立日となっている。ホーランド・アメリカ・ライン(Holland-Amerika Lijn)の名称は設立当時より使用されていたが、これが社名となったのは1896年のことであった[2]

数々の船を用いてオランダとオランダ領東インドへとの通運、あるいは大陸間の通運で数多くの人と荷物を運んだが、人の移動が客船から飛行機に移り変わったため海運会社からクルーズ会社へと転身。

  • 1971年:アラスカ観光会社「Westours」の株式の70%を取得し買収、ランドツアー事業に進出。[3]
  • 1988年:「Windstar Cruises」および「Home Lines」を買収し、船隊と航路を拡大。[4](Windstar Cruisesはその後2007年にHALからAmbassadors Internationalに売却される)
  • 1989年カーニバル・コーポレーションにより買収され、同社の傘下に入る。

シーボーンとの関係

  • 1991年:カーニバル・コーポレーションがSeabourn Cruise Lineの株式の50%を取得。
  • 1999年:カーニバルがSeabournの残りの株式を取得し、完全子会社化。

その後、ホーランド・アメリカ・ラインとシーボーンは、カーニバル・コーポレーション傘下の姉妹ブランドとして運営されるに至る。

Covid-19の影響

2020年3月、ホーランド・アメリカラインが所有する「ザーンダム」船内で新型コロナウイルスの感染が認められた。「ザーンダム」は、チリ沖合からフロリダ州を目指したが、パナマ当局からパナマ運河の通航を却下されて進退窮まった[5]。行き場の失ったクルーズ船の存在は話題となったが、同月中にパナマ政府が人道的判断から通行を許可、フロリダ州に向かうことができた[6]

2020年内に同社保有の船体のうち4隻が売却されることが報じられ、これにより同社からは総重量5万トン以下の船舶が消滅することとなった[7]

航路と就航地域

ロゴについて

  • 船の煙突には、特徴的な「HAL」ロゴが描かれる。
  • 現在のホーランド・アメリカ・ラインのロゴは、帆船と現代的なクルーズ船が重なったシルエットを描いた前ロゴから帆船を削除し、ブランドの革新を象徴している。

ブランドの特徴

ホーランド・アメリカ・ラインは、落ち着いた雰囲気と高品質なサービスで知られており、以下のような特徴がある:

  • クラシック音楽や料理教室、レクチャーなどの文化的プログラム
  • ライブ演奏、ワールドステージなどの音楽性豊かな複数のエンターテイメント
  • 著名シェフによる食事監修、ロングクルーズでも飽きがない豊富な選択肢
  • 中高年層を中心とした落ち着いた客層

ランクはプレミアムで、ラグジュアリーほどではないが格調が高い。ドレスコードは、日中はカジュアルだが夜はスマートカジュアルまたはドレッシー(旧インフォーマル)というスタイルで構成され、フォーマルイブニングもある。

以前に使った船名を後継船に受け継がせたり、他のオペレーターが船名の命名基準がブランドと船名がくっきりと分けるのに対し、全て船名を○○○ダムと統一させていたりするなど、歴史や伝統というものに拘りを持っているのも特徴である。船体も白と濃紺に塗り分け、船内をアンティークや美術品でデコレーションしているなど、古き良き時代の客船を意識している。また、キャビンスチュワードを旧オランダ領のインドネシア系に限定し、オランダとのつながりを忘れることなく洗練した船内サービスの教育を強化している。

客船の特徴

2020年現在、6万トン級のRクラスと8万トン級のビスタクラス、シグネチャークラスが在籍するほか、10万トン級ピナクルクラスがある。1週間からそれ以上の日程で巡航するので、長い日程をゆったりと過ごせるようにと乗客数を控えめに抑え、プールにはスライディングルーフをつけ全天候型とし、どの地域でもプールエリアを楽しめるようにと居住性を重視した作りになっている。スタンダード客室の面積が他社と比較して広めであり、他社のブランドではミニスィート以上でしかつかないバスタブが、HALではアウトサイドからつく傾向にある。

ブランドの一貫性を重視しており、どの船も落ち着きのある洗練された内装で統一されている。ダイニングの名称も統一されており、乗客はどの船でも親しみやすく、安心感のある空間を楽しむことができるように配慮されている。

クローズ・ネスト
意訳すると「鴉の寝床」であるが、船の場合には前方の見張り台になる。転じてHALはフォワード・ラウンジの名称として使われている。
エクスプローラー・ラウンジ
低階層に置かれている小規模なラウンジ。ロイヤルダッチティーが行なわれる場所になる。

船隊

就航中

ザイデルダム
ウエステルダム(2018年)
マースダム(2019年)
アムステルダム(2018年)
ピナクル・クラス(総トン数 99,500トン)
  • ロッテルダム(Rotterdam)
  • コーニングスダム(Koningsdam) [8]
  • ニュー・スタテンダム(Nieuw Statendam)[9]
シグネチャー・クラス(総トン数 86,273トン)
  • ユーロダム(Eurodam)
  • ニュー・アムステルダム(Nieuw Amsterdam)
ビスタ・クラス(総トン数 82,305トン)
Rクラス(総トン数 59,652トン)

過去の船隊

船名 在籍期間
ロッテルダム (初代)(Rotterdam) 1873年-1883年
マース(Maas)
マースダム (初代)(Maasdam)
1873年-1883年
1883年-1884年
W.A.ショルテンオランダ語版(W.A. Scholten) 1874年-1887年
(P. Caland) 1874年-1897年
スヒーダム(Schiedam) 1877年-1897年
アムステルダム (初代)(Amsterdam) 1880年-1884年
エダム (初代)(Edam) 1881年-1882年
レールダム (初代)(Leerdam) 1882年-1889年
ザーンダム(Zaandam) 1882年-1897年
エダム (2代)(Edam) 1883年-1895年
ロッテルダム (2代)(Rotterdam)
エダム (3代)(Edam)
1886年-1895年
1895年-1899年
アムステルダム (2代)(Amsterdam) 1887年-1905年
フェーンダム (初代)(Veendam) 1888年-1898年
オブダム(Obdam) 1889年-1898年
ウェルケンダム(Werkendam) 1889年-1900年
マースダム (2代)(Maasdam) 1889年-1902年
スパールンダム (初代)オランダ語版(Spaarndam) 1890年-1901年
ディダム(Didam) 1891年-1895年
デュベルダム(Dubbeldam) 1891年-1895年
ロッテルダム (3代)(Rotterdam) 1897年-1906年
スタテンダム (初代)英語版(Statendam) 1898年-1910年
ポツダム英語版(Potsdam) 1900年-1915年
ゾーストデイク (初代)(Soestdyk) 1901年-1923年
ラインダム (初代)英語版(Ryndam) 1901年-1929年
アムステルデイク (初代)(Amsteldyk) 1901年-1924年
スローターデイク (初代)(Sloterdyk) 1902年-1924年
ノールダム (初代)(Noordam) 1902年-1928年
ニュー・アムステルダム (初代)(Nieuw Amsterdam) 1906年-1932年
ロッテルダム (4代)オランダ語版(Rotterdam) 1908年-1940年
アンデイク (初代)(Andyk) 1909年-1930年
マールテンスデイク(Maartensdyk) 1909年-1923年
ゴルレデイク (初代)(Gorredyk) 1909年-1923年
ゼイルデイク(Zijldyk) 1909年-1928年
ソンメルスデイク (初代)(Sommelsdyk) 1909年-1910年
ザーンデイク (初代)(Zaandyk) 1909年-1917年
ソンメルスデイク (2代)(Sommelsdyk) 1912年-1930年
(Zuiderdyk) 1912年-1922年
(Noorderdyk (I)) 1913年-1917年
オーステルデイク(Oosterdyk) 1913年-1918年
ウエステルデイク(Westerdyk) 1913年-1933年
フェーンデイク(Veendyk) 1914年-1933年
(Waaldyk) 1914年-1929年
マースデイク(Maasdyk) 1915年-1922年
(Eemdyk (I)) 1915年
(Poeldyk (I)) 1915年-1928年
(Blommersdyk (I)) 1916年
ビューケルスデイク英語版(Beukelsdyk) 1916年-1923年
エイセルデイク(Ijsseldyk) 1916年-1926年
スタテンダム (2代)英語版(Statendam) 1917年
スヒーデイク (初代)(Schiedyk) 1917年-1926年
ザーンデイク (2代)(Zaandyk) 1918年-1923年
(Noorderdyk (II)) 1918年-1931年
(Stadsdyk) 1920年-1932年
(Moerdyk (II)) 1920年-1933年
(Kinderdyk (I)) 1920年-1933年
(Eemdyk (II)) 1920年-1933年
(Vechtdyk) 1920年-1933年
(Warszawa) 1920年-1926年
(Burgerdyk) 1921年-1940年
マースダム (3代)(Maasdam) 1921年-1941年
エダム (4代)(Edam) 1921年-1954年
レールダム (2代)(Leerdam) 1921年-1953年
(Blijdendyk (I)) 1921年-1930年
(Binnendyk) 1921年-1939年
(Dinteldyk (I)) 1922年-1944年
(Breedyk) 1922年-1942年
スパールンダム (2代)(Spaarndam) 1922年-1939年
フォーレンダム (初代)(Volendam) 1922年-1952年
ハーステルデイク (初代)(Gaasterdyk) 1922年-1931年
(Bilderdyk (I)) 1922年-1940年
(Beemsterdyk) 1922年-1941年
(Grootendyk) 1923年-1931年
(Drechtdyk) 1923年-1940年
フェーンダム (2代)(Veendam) 1923年-1953年
スタテンダム (3代)(Statendam) 1929年-1940年
(Delftdyk) 1929年-1952年
(Dongedyk) 1952年-1966年
(Damsterdyk) 1930年-1949年
(Dalerdyk) 1949年-1963年
ニュー・アムステルダム (2代)英語版(Nieuw Amsterdam) 1938年-1974年
ノールダム (2代)(Noordam) 1938年-1963年
ザーンダム (初代)オランダ語版(Zaandam) 1939年-1942年
(Westernland) 1939年-1943年
(Pennland) 1939年-1941年
ソンメルスデイク (3代)(Sommelsdyk) 1939年-1965年
スローターデイク (2代)(Sloterdyk) 1940年-1966年
ウエステルダム (初代)(Westerdam (I)) 1946年-1964年
ザイデルダム (初代)(Zuiderdam) 建造中に大破、建造中止。
(Philip Wouwerman) 1943年-1946年
(Van der Capelle) 1943年-1946年
(Fort Orange)
(Blijdendyk (II) )
1944年-1947年
1947年-1957年
(Duyvendyk) 1946年-1959年
(Andijk) 1946年-1969年
(Eemdyk (III)) 1946年-1960年
アムステルデイク (2代)(Amsteldyk) 1946年-1967年
(Arkeldyk) 1946年-1966年
(Aalsdyk) 1946年-1960年
(Averdijk) 1946年-1967年
(Abbedyk) 1947年-1961年
(Axeldyk) 1947年-1963年
(Aardyk) 1947年-1962年
(Arnedyk) 1947年-1962年
en:Groote Beer 1947年-1963年[10]
(Alblasserdyk) 1948年-1966年
(Arendsdyk) 1948年-1961年
ゾーストデイク (2代)(Soestdyk) 1948年-1967年
(Akkrumdyk) 1948年-1963年
(Almdyk) 1949年-1960年
スヒーデイク (2代)(Schiedyk) 1949年-1960年
(Aagtedyk) 1950年-1963年
(Diemerdyk) 1950年-1968年
ラインダム (2代)(Ryndam)英語版 1951年-1972年
ヴァータマンオランダ語版(Waterman) 1952年-1962年[10]
マースダム (4代)(Maasdam) 1952年-1968年
(Appingedyk) 1953年-1962年
セブン・シーズ(Seven Seas) 1955年-1966年
(Kinderdyk (II)) 1956年-1970年
スタテンダム (4代)英語版(Statendam) 1957年-1983年
(Dinteldyk (II)) 1957年-1970年
クローステルデイク(Kloosterdyk) 1957年-1970年
ケルケデイク(Kerkedyk) 1958年-1970年
カンパーデイク(Kamperdyk) 1959年-1972年
ロッテルダム (5代)英語版(Rotterdam) 1959年-1997年
コーレンデイク(Korendyk) 1960年-1972年
ハーステルデイク (2代)(Gaasterdyk) 1960年-1975年
フェーンダム (3代)(Veendam) 1973年-1984年
プリンセンダム (初代)(Prinsendam) 1973年-1980年
ニュー・アムステルダム (3代)(Nieuw Amsterdam) 1983年-2003年
ノールダム (3代)(Noordam) 1984年-2004年
ウェステルダム (2代)(Westerdam) 1988年-2002年
ターミガン(Ptarmigan) 1989年-1997年
スタテンダム (5代)(Statendam) 1993年-2015年
ラインダム (3代)(Ryndam)英語版 1994年-2015年
プリンセンダム (2代)(Prinsendam) 2002年-2019年
マースダム(5代)[11] 1993年-2020年
フェーンダム(4代)[11] ?-2020年
ロッテルダム (6代)(Rotterdam) 1997年-2020年
アムステルダム (3代)(Amsterdam) 2000年-2020年

出典

  1. ^ About Holland America Hotels in Alaska & Yukon - Our Story” (英語). Holland America Hotels. 2025年5月18日閲覧。
  2. ^ Albert J. Schoonderbeek. “An Outline of the History of Holland America Line part 1”. ホーランド・アメリカライン. 2013年12月8日閲覧。
  3. ^ Timeline | HAL-150”. www.hollandamerica.com. 2025年5月18日閲覧。
  4. ^ Timeline | HAL-150”. www.hollandamerica.com. 2025年5月18日閲覧。
  5. ^ クルーズ船で4人死亡、138人にインフル様症状 入港拒否でパナマ沖に停泊”. AFP (2020年3月28日). 2020年3月27日閲覧。
  6. ^ クルーズ船に通航許可 パナマ運河当局” (2020年3月29日). 2020年4月3日閲覧。
  7. ^ ホーランド・アメリカ、アムステルダムなど4隻を売却”. WEB CRUISE. 海事プレス社 (2020年7月16日). 2020年7月20日閲覧。
  8. ^ ホーランド・アメリカ・コーニングスダム
  9. ^ ホーランド、「ニュースタテンダム」引き渡し
  10. ^ a b 船主はオランダ政府。
  11. ^ a b 売却先は非公開

関連項目

外部リンク




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