ホーランド・アメリカ・ライン (Holland America Line) は、アメリカ シアトル に本拠を置くクルーズ会社。通称はHAL。カーニバル・コーポレーションの子会社である。創業は1873年、オランダ・ロッテルダムにて設立された。現在は中規模のプレミアムクラスのクルーズを提供しており、現在の旗艦船は2021年に就航したロッテルダム(7代)である。
特にアラスカ航路に強みを持つ同社は、傘下にアラスカ 全土でホテル業を営んでいるウエストマーク・ホテルズを支配下に置く[ 1] 。アラスカ鉄道 に自社の展望車であるマッキンリーエクスプローラー を連結、観光地ではHALのロゴがついたバスを始終走らせる。クルーズ会社としてアラスカ観光分野での存在は古く、グレーシャーベイ国立公園でのシーニッククルーズを行う回数は他社と比較して最多である。
歴史
1871年2月8日、ロッテルダムで設立されたプラッテ・ロイヒリン合資会社(オランダ語 : C.V. Plate Reuchlin & Co )が、母体である。1873年4月18日にアメリカとヨーロッパを結ぶ海運会社、ネーデルランス・アメリカーンス・ストームファールト・マーツファッペイ(NASM:Nederlandsch Amerikaansche Stoomvaart Maatschappij 、ネザーランド・アメリカ・スチームカンパニー)が設立され、これが公式の設立日となっている。ホーランド・アメリカ・ライン(Holland-Amerika Lijn)の名称は設立当時より使用されていたが、これが社名となったのは1896年のことであった[ 2] 。
数々の船を用いてオランダとオランダ領東インドへとの通運、あるいは大陸間の通運で数多くの人と荷物を運んだが、人の移動が客船から飛行機に移り変わったため海運会社からクルーズ会社へと転身。
1971年:アラスカ観光会社「Westours」の株式の70%を取得し買収、ランドツアー事業に進出。[ 3]
1988年:「Windstar Cruises」および「Home Lines」を買収し、船隊と航路を拡大。[ 4] (Windstar Cruisesはその後2007年にHALからAmbassadors Internationalに売却される)
1989年 :カーニバル・コーポレーション により買収され、同社の傘下に入る。
シーボーンとの関係
1991年:カーニバル・コーポレーションがSeabourn Cruise Lineの株式の50%を取得。
1999年:カーニバルがSeabournの残りの株式を取得し、完全子会社化。
その後、ホーランド・アメリカ・ラインとシーボーンは、カーニバル・コーポレーション傘下の姉妹ブランドとして運営されるに至る。
Covid-19の影響
2020年 3月、ホーランド・アメリカラインが所有する「ザーンダム」船内で新型コロナウイルス の感染が認められた。「ザーンダム」は、チリ 沖合からフロリダ州 を目指したが、パナマ 当局からパナマ運河 の通航を却下されて進退窮まった[ 5] 。行き場の失ったクルーズ船の存在は話題となったが、同月中にパナマ政府が人道的判断から通行を許可、フロリダ州に向かうことができた[ 6] 。
2020年内に同社保有の船体のうち4隻が売却されることが報じられ、これにより同社からは総重量5万トン以下の船舶が消滅することとなった[ 7] 。
ロゴについて
船の煙突には、特徴的な「HAL」ロゴが描かれる。
現在のホーランド・アメリカ・ラインのロゴは、帆船と現代的なクルーズ船が重なったシルエットを描いた前ロゴから帆船を削除し、ブランドの革新を象徴している。
ブランドの特徴
ホーランド・アメリカ・ラインは、落ち着いた雰囲気と高品質なサービスで知られており、以下のような特徴がある:
クラシック音楽や料理教室、レクチャーなどの文化的プログラム
ライブ演奏、ワールドステージなどの音楽性豊かな複数のエンターテイメント
著名シェフによる食事監修、ロングクルーズでも飽きがない豊富な選択肢
中高年層を中心とした落ち着いた客層
ランクはプレミアムで、ラグジュアリーほどではないが格調が高い。ドレスコードは、日中はカジュアルだが夜はスマートカジュアルまたはドレッシー(旧インフォーマル)というスタイルで構成され、フォーマルイブニングもある。
以前に使った船名を後継船に受け継がせたり、他のオペレーターが船名の命名基準がブランドと船名がくっきりと分けるのに対し、全て船名を○○○ダムと統一させていたりするなど、歴史や伝統というものに拘りを持っているのも特徴である。船体も白と濃紺に塗り分け、船内をアンティークや美術品でデコレーションしているなど、古き良き時代の客船を意識している。また、キャビンスチュワードを旧オランダ領のインドネシア 系に限定し、オランダとのつながりを忘れることなく洗練した船内サービスの教育を強化している。
客船の特徴
2020年現在、6万トン級のRクラスと8万トン級のビスタクラス、シグネチャークラスが在籍するほか、10万トン級ピナクルクラスがある。1週間からそれ以上の日程で巡航するので、長い日程をゆったりと過ごせるようにと乗客数を控えめに抑え、プールにはスライディングルーフをつけ全天候型とし、どの地域でもプールエリアを楽しめるようにと居住性を重視した作りになっている。スタンダード客室の面積が他社と比較して広めであり、他社のブランドではミニスィート以上でしかつかないバスタブが、HALではアウトサイドからつく傾向にある。
ブランドの一貫性を重視しており、どの船も落ち着きのある洗練された内装で統一されている。ダイニングの名称も統一されており、乗客はどの船でも親しみやすく、安心感のある空間を楽しむことができるように配慮されている。
クローズ・ネスト
意訳すると「鴉の寝床」であるが、船の場合には前方の見張り台になる。転じてHALはフォワード・ラウンジの名称として使われている。
エクスプローラー・ラウンジ
低階層に置かれている小規模なラウンジ。ロイヤルダッチティーが行なわれる場所になる。
船隊
就航中
ザイデルダム
ウエステルダム(2018年)
マースダム(2019年)
アムステルダム(2018年)
ピナクル・クラス(総トン数 99,500トン)
ロッテルダム(Rotterdam)
コーニングスダム(Koningsdam) [ 8]
ニュー・スタテンダム(Nieuw Statendam)[ 9]
シグネチャー・クラス(総トン数 86,273トン)
ユーロダム (Eurodam)
ニュー・アムステルダム(Nieuw Amsterdam)
ビスタ・クラス(総トン数 82,305トン)
Rクラス(総トン数 59,652トン)
フォーレンダム (Volendam)(総トン数 60,906トン)
ザーンダム(Zaandam)
過去の船隊
船名
在籍期間
ロッテルダム (初代)(Rotterdam)
1873年-1883年
マース(Maas) マースダム (初代)(Maasdam)
1873年-1883年 1883年-1884年
W.A.ショルテン(オランダ語版 ) (W.A. Scholten)
1874年-1887年
(P. Caland)
1874年-1897年
スヒーダム(Schiedam)
1877年-1897年
アムステルダム (初代)(Amsterdam)
1880年-1884年
エダム (初代)(Edam)
1881年-1882年
レールダム (初代)(Leerdam)
1882年-1889年
ザーンダム(Zaandam)
1882年-1897年
エダム (2代)(Edam)
1883年-1895年
ロッテルダム (2代)(Rotterdam) エダム (3代)(Edam)
1886年-1895年 1895年-1899年
アムステルダム (2代)(Amsterdam)
1887年-1905年
フェーンダム (初代)(Veendam)
1888年-1898年
オブダム(Obdam)
1889年-1898年
ウェルケンダム(Werkendam)
1889年-1900年
マースダム (2代)(Maasdam)
1889年-1902年
スパールンダム (初代)(オランダ語版 ) (Spaarndam)
1890年-1901年
ディダム(Didam)
1891年-1895年
デュベルダム(Dubbeldam)
1891年-1895年
ロッテルダム (3代)(Rotterdam)
1897年-1906年
スタテンダム (初代)(英語版 ) (Statendam)
1898年-1910年
ポツダム(英語版 ) (Potsdam)
1900年-1915年
ゾーストデイク (初代)(Soestdyk)
1901年-1923年
ラインダム (初代)(英語版 ) (Ryndam)
1901年-1929年
アムステルデイク (初代)(Amsteldyk)
1901年-1924年
スローターデイク (初代)(Sloterdyk)
1902年-1924年
ノールダム (初代)(Noordam)
1902年-1928年
ニュー・アムステルダム (初代)(Nieuw Amsterdam)
1906年-1932年
ロッテルダム (4代)(オランダ語版 ) (Rotterdam)
1908年-1940年
アンデイク (初代)(Andyk)
1909年-1930年
マールテンスデイク(Maartensdyk)
1909年-1923年
ゴルレデイク (初代)(Gorredyk)
1909年-1923年
ゼイルデイク(Zijldyk)
1909年-1928年
ソンメルスデイク (初代)(Sommelsdyk)
1909年-1910年
ザーンデイク (初代)(Zaandyk)
1909年-1917年
ソンメルスデイク (2代)(Sommelsdyk)
1912年-1930年
(Zuiderdyk)
1912年-1922年
(Noorderdyk (I))
1913年-1917年
オーステルデイク(Oosterdyk)
1913年-1918年
ウエステルデイク(Westerdyk)
1913年-1933年
フェーンデイク(Veendyk)
1914年-1933年
(Waaldyk)
1914年-1929年
マースデイク(Maasdyk)
1915年-1922年
(Eemdyk (I))
1915年
(Poeldyk (I))
1915年-1928年
(Blommersdyk (I))
1916年
ビューケルスデイク(英語版 ) (Beukelsdyk)
1916年-1923年
エイセルデイク(Ijsseldyk)
1916年-1926年
スタテンダム (2代)(英語版 ) (Statendam)
1917年
スヒーデイク (初代)(Schiedyk)
1917年-1926年
ザーンデイク (2代)(Zaandyk)
1918年-1923年
(Noorderdyk (II))
1918年-1931年
(Stadsdyk)
1920年-1932年
(Moerdyk (II))
1920年-1933年
(Kinderdyk (I))
1920年-1933年
(Eemdyk (II))
1920年-1933年
(Vechtdyk)
1920年-1933年
(Warszawa)
1920年-1926年
(Burgerdyk)
1921年-1940年
マースダム (3代)(Maasdam)
1921年-1941年
エダム (4代)(Edam)
1921年-1954年
レールダム (2代)(Leerdam)
1921年-1953年
(Blijdendyk (I))
1921年-1930年
(Binnendyk)
1921年-1939年
(Dinteldyk (I))
1922年-1944年
(Breedyk)
1922年-1942年
スパールンダム (2代)(Spaarndam)
1922年-1939年
フォーレンダム (初代)(Volendam)
1922年-1952年
ハーステルデイク (初代)(Gaasterdyk)
1922年-1931年
(Bilderdyk (I))
1922年-1940年
(Beemsterdyk)
1922年-1941年
(Grootendyk)
1923年-1931年
(Drechtdyk)
1923年-1940年
フェーンダム (2代)(Veendam)
1923年-1953年
スタテンダム (3代)(Statendam)
1929年-1940年
(Delftdyk)
1929年-1952年
(Dongedyk)
1952年-1966年
(Damsterdyk)
1930年-1949年
(Dalerdyk)
1949年-1963年
ニュー・アムステルダム (2代)(英語版 ) (Nieuw Amsterdam)
1938年-1974年
ノールダム (2代)(Noordam)
1938年-1963年
ザーンダム (初代)(オランダ語版 ) (Zaandam)
1939年-1942年
(Westernland)
1939年-1943年
(Pennland)
1939年-1941年
ソンメルスデイク (3代)(Sommelsdyk)
1939年-1965年
スローターデイク (2代)(Sloterdyk)
1940年-1966年
ウエステルダム (初代)(Westerdam (I))
1946年-1964年
ザイデルダム (初代)(Zuiderdam)
建造中に大破、建造中止。
(Philip Wouwerman)
1943年-1946年
(Van der Capelle)
1943年-1946年
(Fort Orange) (Blijdendyk (II) )
1944年-1947年 1947年-1957年
(Duyvendyk)
1946年-1959年
(Andijk)
1946年-1969年
(Eemdyk (III))
1946年-1960年
アムステルデイク (2代)(Amsteldyk)
1946年-1967年
(Arkeldyk)
1946年-1966年
(Aalsdyk)
1946年-1960年
(Averdijk)
1946年-1967年
(Abbedyk)
1947年-1961年
(Axeldyk)
1947年-1963年
(Aardyk)
1947年-1962年
(Arnedyk)
1947年-1962年
(en:Groote Beer )
1947年-1963年[ 10]
(Alblasserdyk)
1948年-1966年
(Arendsdyk)
1948年-1961年
ゾーストデイク (2代)(Soestdyk)
1948年-1967年
(Akkrumdyk)
1948年-1963年
(Almdyk)
1949年-1960年
スヒーデイク (2代)(Schiedyk)
1949年-1960年
(Aagtedyk)
1950年-1963年
(Diemerdyk)
1950年-1968年
ラインダム (2代)(Ryndam)(英語版 )
1951年-1972年
ヴァータマン(オランダ語版 ) (Waterman)
1952年-1962年[ 10]
マースダム (4代)(Maasdam)
1952年-1968年
(Appingedyk)
1953年-1962年
セブン・シーズ(Seven Seas)
1955年-1966年
(Kinderdyk (II))
1956年-1970年
スタテンダム (4代)(英語版 ) (Statendam)
1957年-1983年
(Dinteldyk (II))
1957年-1970年
クローステルデイク(Kloosterdyk)
1957年-1970年
ケルケデイク(Kerkedyk)
1958年-1970年
カンパーデイク(Kamperdyk)
1959年-1972年
ロッテルダム (5代)(英語版 ) (Rotterdam)
1959年-1997年
コーレンデイク(Korendyk)
1960年-1972年
ハーステルデイク (2代)(Gaasterdyk)
1960年-1975年
フェーンダム (3代)(Veendam)
1973年-1984年
プリンセンダム (初代) (Prinsendam)
1973年-1980年
ニュー・アムステルダム (3代)(Nieuw Amsterdam)
1983年-2003年
ノールダム (3代)(Noordam)
1984年-2004年
ウェステルダム (2代)(Westerdam)
1988年-2002年
ターミガン(Ptarmigan)
1989年-1997年
スタテンダム (5代) (Statendam)
1993年-2015年
ラインダム (3代)(Ryndam)(英語版 )
1994年-2015年
プリンセンダム (2代) (Prinsendam)
2002年-2019年
マースダム(5代)[ 11]
1993年-2020年
フェーンダム(4代)[ 11]
?-2020年
ロッテルダム (6代)(Rotterdam)
1997年-2020年
アムステルダム (3代) (Amsterdam)
2000年-2020年
出典
^ “About Holland America Hotels in Alaska & Yukon - Our Story ” (英語). Holland America Hotels . 2025年5月18日閲覧。
^ Albert J. Schoonderbeek. “An Outline of the History of Holland America Line part 1 ”. ホーランド・アメリカライン. 2013年12月8日閲覧。
^ “Timeline | HAL-150 ”. www.hollandamerica.com . 2025年5月18日閲覧。
^ “Timeline | HAL-150 ”. www.hollandamerica.com . 2025年5月18日閲覧。
^ “クルーズ船で4人死亡、138人にインフル様症状 入港拒否でパナマ沖に停泊 ”. AFP (2020年3月28日). 2020年3月27日閲覧。
^ “クルーズ船に通航許可 パナマ運河当局 ” (2020年3月29日). 2020年4月3日閲覧。
^ “ホーランド・アメリカ、アムステルダムなど4隻を売却 ”. WEB CRUISE . 海事プレス社 (2020年7月16日). 2020年7月20日閲覧。
^ ホーランド・アメリカ・コーニングスダム
^ ホーランド、「ニュースタテンダム」引き渡し
^ a b 船主はオランダ政府。
^ a b 売却先は非公開
関連項目
外部リンク