ベスティア出兵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/21 16:47 UTC 版)
「マルクス・アエミリウス・スカウルス」の記事における「ベスティア出兵」の解説
これを受け、翌紀元前111年、ユグルタ派の引き延ばし工作はあったものの、ヌミディア担当となった執政官ベスティアはユグルタの息子らのローマ入りを拒否し、出兵を決定した。彼は庇護を期待してスカウルスら門閥貴族をレガトゥスに選ぶと、レギウムからシキリアへ渡り、そこからヌミディアに侵攻した。しかしユグルタの買収工作は激しく、最大の敵対者であったスカウルスも陥落した。スカウルスを味方につけたユグルタは和平への道を探り、ベスティアやスカウルスと秘密裏に交渉した後偽りの降伏を申し出、軍中コンシリウムではごくわずかな賠償のみで降伏を認めることが決定された。
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