ヘンリー・A・コートニーとは? わかりやすく解説

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ヘンリー・A・コートニー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/11 19:20 UTC 版)

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ヘンリー・A・コートニー・ジュニア
Henry Alexius Courtney, Jr.
ヘンリー・コートニー
生誕 1916年1月6日
アメリカ合衆国
ミネソタ州ダルース
死没 (1945-05-15) 1945年5月15日(29歳没)
日本
沖縄県真和志村安里
所属組織 アメリカ海兵隊
軍歴 1940年 - 1945年
最終階級 海兵隊少佐
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ヘンリー・アレクシウス・コートニー・ジュニア英語: Henry Alexius Courtney, Jr. 1916年1月6日 - 1945年5月15日)は、アメリカ合衆国海兵隊軍人。最終階級は少佐太平洋戦争末期の沖縄戦において戦死、没後名誉勲章が贈られた。

経歴

1916年1月6日ミネソタ州ダルースに生まれた。ミネソタ大学を卒業後、シカゴのロヨラ大学ロー・スクールで法学を修めた。その後、ダルースにあった父の法律事務所に入社した。

1940年2月に海兵隊予備役の召集がかかり少尉として赴任、その年の3月にはダルースの海兵隊基地で勤務した。その後、サンディエゴに移動し訓練を受け、10ヶ月間アイスランドで従軍した。

第二次世界大戦のガダルカナルソロモン諸島では、ガダルカナル島の戦いの最初の攻撃に参加し、第1海兵師団で中隊を指揮した。

その後の任地は、死後に名誉勲章を授与された沖縄戦だった。第6海兵師団第22海兵連隊の第2大隊副隊長として沖縄戦に従軍。1945年5月12日から那覇市北東部にあるシュガーローフヒル(安里52高地)を強襲したが、その際の戦闘で5月15日に戦死した。なお、シュガーローフ(安里52高地)は、その後19日にアメリカ海兵隊によって陥落した。

死後、沖縄戦での善戦を称えて名誉勲章を受賞。名誉勲章は、戦後1947年12月30日に海兵隊大将のアレクサンダー・ヴァンデグリフトからコートニーの両親に贈られた。この他に、2度目のパープルハート章も受賞している。

彼の遺骨のほとんどは初め、沖縄の海兵隊第6師団墓地に埋葬されたが、1948年にダルースのカルヴァリー墓地に移された。

名前

アメリカ海軍のディーレイ級護衛駆逐艦コートニーは、彼の名前にちなんでいる。また、沖縄にあるキャンプ・コートニーにも彼の名が冠してある。

出典




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