プエルト・バイーアの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/01 14:21 UTC 版)
「アクレ紛争」の記事における「プエルト・バイーアの戦い」の解説
プエルト・バイーア(西: Puerto Bahía、現在のコビハ)でも、プラシド・デ・カストロのに呼応してアクレ独立を求めた反乱が起きた。プエルト・バイーア周辺は、ゴムで財を成したボリビア人の豪商であったニコラス・スアレス・カリャウ(英語版、スペイン語版)が、事実上支配していた。ニコラス・スアレスは独自にゴム液採取労働者たちを集めて私設部隊を組織し、10月11日、プエルト・バイーアでの反乱を鎮圧した。 プラシド・デ・カストロは、ニコラス・スアレスの私設部隊がボリビア軍に合流することを恐れた。プラシド・デ・カストロ率いる反乱軍は、11月、南へ進みアブナ川でボリビア軍の部隊と遭遇した。ボリビア軍の部隊は50名程度で、ロセンド・ロハスの部隊に弾薬を補給することが目的であった。このボリビア軍の部隊は、反乱軍を見ると退却した。プラシド・デ・カストロは、追撃を実施しようとするが、反乱軍の兵士たちはこれ以上の遠征に強く反対した。 一方で、ニコラス・スアレスはシャプリの反乱軍を攻撃しようと考えていたが、スアレスの私設兵も遠征してまで戦うことには消極的であった。
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