ブリの子アフマドの子孫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/14 06:42 UTC 版)
「アラトナシリ」の記事における「ブリの子アフマドの子孫」の解説
『元史』宗室世系表では「豫王阿剌忒納失里」をクビライの曾孫ラオディ(老的)の息子としているが、これはアラトナシリが雲南に出鎮したことに起因する誤りである。また同表ではアラトナシリの父トレを威遠王アジキの孫としているがこれも誤りで、『ヴァッサーフ史』の伝える「ブリの子アフマドの子シャーディーの子トレ」という系図が正しいとされる。 チャガタイ(Čaγatai, 察合台/چغتاى Chaghatāī)モエトゥケン(Mö'etüken,/مواتوكان Muwātūkān)ブリ(Büri,不里/بورى Būrī)アフマド(احمد Aḥmad)ババ大王(Baba,八八/باباBābā)ハビル・テムル王(Habil-temür,合賓帖木児?/Hābīr tīmūr) カビル・テムル王(Qabil-temür,合賓帖木児?/Qābīr tīmūr) ユルトゥズ・テムル王(Yultuz-temür,允禿思帖木児/Yūldūz tīmūr) シャーディー(『集史』:ساتیSātī/『ヴァッサーフ史』:شادیŠādī)越王トレ(Töre,禿剌/تولا اغولTūlā aghūl)豫王アラトナシリ(Aratnaširi,阿剌忒納失里) 西安王ダルマ(Darma,答児麻)
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