ブラゴヴェシチェンスクの場合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 08:50 UTC 版)
「尼港事件」の記事における「ブラゴヴェシチェンスクの場合」の解説
ちなみに、ニコラエフスク開城交渉に先立つ2月5日、アムール川を遡った内陸部にあるブラゴヴェシチェンスクにおいても、政変が起こっていた。赤軍が政権をとるにおよんで、白軍などは家族とともに日本軍に保護を求めてきたが、ここでは白水師団長が自ら赤軍側と交渉し、「一般人民の生命財産の安全を保障し、市内の安寧秩序を確保すること。市内にこれ以上の武装勢力を入れないこと」などを求めて、ついに呑ませ、白軍の軍人も助けた。日本軍は政治的中立は守るけれども、治安維持に責任を持っている以上、ロシア人の生命、財産の安全にも口をはさむ、という姿勢だったのである。なお、ブラゴヴェシチェンスクでは1900年に清国人3,000人がロシア軍によって虐殺されるアムール川事件が起きている。
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