フェルディナン・フィリップ (オルレアン公)とは? わかりやすく解説

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フェルディナン・フィリップ (オルレアン公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/13 15:15 UTC 版)

フェルディナン・フィリップ
Ferdinand Philippe
ブルボン=オルレアン家

全名
称号 シャルトル公
オルレアン公
プランス・ロワイヤル
出生 (1810-09-03) 1810年9月3日
シチリア王国パレルモノルマンニ宮殿
死去 (1842-07-13) 1842年7月13日(31歳没)
フランス王国ヌイイ=シュル=セーヌ、サブロンヴィル
埋葬 1842年7月16日
フランス王国ドルー、ドルー王室礼拝堂
配偶者 エレーヌ・ド・メクランブール=シュウェラン
子女 フィリップ
ロベール
父親 ルイ・フィリップ1世
母親 マリー・アメリー・ド・ブルボン
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フェルディナン・フィリップ・ドルレアンフランス語: Ferdinand Philippe d'Orléans, 1810年9月3日 - 1842年7月13日)は、7月王政フランス国王ルイ・フィリップの第1王子、オルレアン公

生涯

亡命中だったオルレアン家当主ルイ・フィリップ1世の長男としてシチリアパレルモで生まれた。母マリー・アメリーシチリア国王フェルディナンド3世(後の両シチリア国王フェルディナンド1世)の王女で、1809年にルイ・フィリップと結婚していた。

誕生時にシャルトル公の称号を授けられたが、父のフランス王即位によりオルレアン公の称号を継承した。

メクレンブルク=シュヴェリーン公子フリードリヒの娘ヘレーネ・ルイーゼ・エリーザベト(エレーヌ)と結婚し、2子をもうけた。

父王在位中の1842年、馬車の事故により32歳で死去した。

ダゲレオタイプによる葬儀の写真
先代
ルイ・フィリップ1世
オルレアン公
1830年 - 1842年
次代
フィリップ7世



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