ピラミッドの数と場所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 08:53 UTC 版)
「エジプトのピラミッド」の記事における「ピラミッドの数と場所」の解説
1842年、ドイツの考古学者カール・レプシウスは最初のピラミッドのリストを作り、67件を掲載した。それ以降も多数のピラミッドが発見され、2008年11月現在では118を数える。 レプシウスが「首なしピラミッド」と呼んだ29番目のピラミッドの位置は、レプシウスの調査後に砂漠の砂に埋まってしまい、2度に渡って分からなくなったが、2008年に行われた発掘調査で再発見された。 多くのピラミッドは保存状態が悪かったり、砂に埋まってしまっている。もし見えていたとしても、がれきの山にしか見えないものも多い。 直近に見つかったピラミッドは、エジプト第6王朝のファラオテティの母シェシェティのもので、サッカラにあった。エジプト考古最高評議会の長ザヒ・ハワスによって2008年11月11日に発表された。 ザウィト・エル・ マイティンにある第3王朝期の小規模のものを除くエジプトの全てのピラミッドは、ナイル川の西岸に作られていて、そのほとんどがいくつかのグループを作っている。 アブ・ラワシュには、エジプトの最北端のピラミッドである、ジェドエフラーのピラミッドが存在する。従来このピラミッドは未完成であったと考えられてきたが、近年、完成していただけではなく、メンカウラー王のピラミッドと同じ高さであったということが考古学界の定説となっている。 この場所は大きな交差路に隣接しており、石の供給が容易であった。小さな衛星ピラミッドには、保存状態のよいものが多い。
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