ピュライメネースの子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 17:24 UTC 版)
「ハルパリオーン」の記事における「ピュライメネースの子」の解説
このハルパリオーンは、パプラゴニア(英語版)の王ピュライメネースの子である。パリスとは親しい関係にあり、父ピュライメネースとともにパプラゴニア人を率いてトロイアを救援したが、メーリオネースに討たれた。 トロイア勢とリュキア勢がギリシア軍の防壁内に侵入したとき、ハルパリオーンはメネラーオスに跳びかかり、近距離から相手の楯の中央部分を槍で突いた。しかし楯を貫くことができなかったため、パプラゴニアの軍勢の中に後退しようとしたが、メーリオネースの放った青銅の矢に腰を射抜かれて息絶えた。遺体はピュライメネースに付き添われながらイーリオスに運ばれた。ハルパリオーンの死に激怒したパリスは矢を放ち、エウケーノールを射殺した。
※この「ピュライメネースの子」の解説は、「ハルパリオーン」の解説の一部です。
「ピュライメネースの子」を含む「ハルパリオーン」の記事については、「ハルパリオーン」の概要を参照ください。
- ピュライメネースの子のページへのリンク