ピチット・チョーシリワットとは? わかりやすく解説

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ピチット・チョーシリワット

(ピチット大源 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/12 03:23 UTC 版)

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ピチット・チョーシリワット
基本情報
本名 Pichit Chor Siriwat
階級 ライトフライ級
国籍 タイ
誕生日 (1975-01-31) 1975年1月31日(45歳)
出身地 チャイヤプーム県
スタイル サウスポー
プロボクシング戦績
総試合数 38
勝ち 35
KO勝ち 15
敗け 3
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ピチット・チョーシリワットPichit Chor Siriwat1975年1月31日 - )は、タイの[[プロボクサー]。元WBA世界ライトフライ級王者。ピチットノイ・チョーシリワットPichitnoi Chor Siriwat)、ピチット大源(ピチットだいげん)などのリングネーム使用経験もある。実兄のピチット・シスパンプラチャンも元IBF世界フライ級王者で、兄弟で世界王者になった。

来歴

1993年8月8日、プロデビュー。

1994年10月9日、デビューから7連勝でレオ・ガメスのWBA世界ライトフライ級王座に挑戦するも6回TKO負けとなった。

1995年8月5日、空位のPABAライトフライ級王座を決定戦で獲得。同王座は3度の防衛に成功した。

1996年12月3日、山口圭司の持つWBA世界ライトフライ級王座に挑戦し2RTKOで王座獲得。同王座は5度防衛後に返上した。

2002年1月19日、ロセンド・アルバレスの持つWBA世界ライトフライ級王座の再獲得を目指し挑戦するが敗退した。

2005年頃から日本の井岡ボクシングジム in 島根江津において兄弟でトレーナーを務めるようになる。その後8連勝を収め、2005年9月11日に日本で戎岡淳一に敗北した。

2007年10月14日、2年1か月ぶりの復帰戦で村井勇希と対戦し勝利を収めた。この時のリングネームはピチット大源。以後、試合はしていない。

関連項目

外部リンク

前王者
山口圭司
WBA世界ライトフライ級王者

1996年12月3日 - 2000年(返上)

空位
次タイトル獲得者
ベビス・メンドサ




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