ピエトロ・アントニオ・フィオッコとは? わかりやすく解説

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ピエトロ・アントニオ・フィオッコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/03 16:41 UTC 版)

ピエトロ・アントニオ・フィオッコ
生誕 (1654-02-03) 1654年2月3日
イタリア ヴェネツィア
死没 (1714-09-03) 1714年9月3日(60歳没)
ベルギー ブリュッセル
ジャンル バロック音楽
職業 作曲家
ピエトロ・アントニオ・フィオッコ

ピエトロ・アントニオ・フィオッコイタリア語: Pietro Antonio Fiocco1654年2月3日 - 1714年9月3日[1])は、イタリア出身の盛期バロック音楽作曲家。後半生にフランス語圏に移ったため、ピエール=アントワーヌ (フランス語: Pierre-Antoine) というフランス語名も残している。

経歴

1654年、イタリア・ヴェネツィアで生まれた。幼年期やイタリアで受けた音楽教育については、何も分かっていないが、音楽家として名を揚げ、オランダ総督によってアムステルダムに招かれた。エレナ・ラピタ・ダ・パリデ(Helena Rapita da Paride)の曲集には、フィオッコの作曲した数楽章が含まれている。1681年ジャン=バティスト・リュリ歌劇《アルセスト》のハノーファー公演のために、序幕の追加作曲を担当。1882年夏にオーストリア領ネーデルラントの首府ブリュッセルに引越し、トゥルン・ウント・タクシス侯爵ウジェーヌ=アレクサンドルの宮廷に仕官する。ノートルダム・デ・ヴィクトワール教会の聖歌隊長に指名され、ミサ曲モテットを含む宗教曲を作曲した。ブリュッセルにて他界。

家族・親族

脚注

  1. ^ Pietro Antonio FIOCCO Opéra Baroque




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