ビバリー・ブールバード(1998-2003年)
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「エクスタシー・レコーディング・スタジオ」の記事における「ビバリー・ブールバード(1998-2003年)」の解説
1998年には、マドンナのマネージャーを務めていたフレディー・デ・マンとレコーディング・ディレクターのビル・ドゥーリーが1993年にビバリー・ブールバードに構えたブルックリン・レコーディング・スタジオ (Brooklyn Recording Studios) を買い取り、エクスタシー・レコーディング・スタジオ・サウス (Extasy Recording Studios South) に改称して使用していたが、YOSHIKIがアメリカのバンドのプロデュース活動から手を引いた2003年に手放している。 このスタジオには80インプット、32モニターチャンネルへの拡張と、104本のフェーダーのGMLオートメーション化がなされたニーヴのビンテージ・ミキシング・コンソール「ニーヴ・8078」が備えられていた。ここで商業用に貸し出していたスタジオではキッスやヴァン・ヘイレン、ジェーンズ・アディクションなどのほか、1999年にはトレイシー・チャップマンやフィオナ・アップル、マリリン・マンソンといったアーティストがレコーディングに使用している。
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