バビ教とバハイ教について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 04:36 UTC 版)
「エドワード・グランヴィル・ブラウン」の記事における「バビ教とバハイ教について」の解説
彼自身はバハイ教徒ではなく、むしろ東洋学者であった。ブラウンは、スーフィズムに関する資料を探しているときに、アルテュール・ド・ゴビノーが書いた一冊の本に出会い、これを読むことによってバビ教の諸運動への興味がかき立てられた。ブラウンは、アブドル・バハが書いた歴史書『旅人の話』( A Traveller's Narrative )に大規模な序文と注釈をつけて翻訳した。 また、「バブ」ことセイイェド・アリー・モハンマドの後継者問題についてバビ教徒らが議論を戦わせてきた歴史、正統観に魅了された。その中には、バハオラ派に関する議論も含まれる。バハオラ派から発展した後のバハイ教の信徒の著作においては、バブよりもバハオラの重要性が大きく強調される一方で、ミールザー・ヤフヤー(スブヒ・アザル)(英語版)に対しては批判的である。E. G. ブラウンやド・ゴビノーは、スブヒ・アザルがバブの後継者になると考えていた。
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