ハンニバルのアルプス越えルートの可能性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 15:49 UTC 版)
「トラヴェルセッテ峠」の記事における「ハンニバルのアルプス越えルートの可能性」の解説
1950年代にロンドン自然史博物館の館長であったギャヴィン・デ・ビーアがハンニバルのアルプス越えルートとしてトラヴェルセッテ峠を提唱した。しかしながら、著名なポリュビウス研究家であるF. W. Walbankは、1956年にこの説に対して反論した。しかし、2016年になってデ・ビーアの説を支持する証拠が見つかった。地質学者のウィリアム・マハニー(William Mahaney)等は、峠近くの大便に由来するとみられる堆積物が「数千の人間や動物の移動によるもの」であり、炭素同位体分析の結果から紀元前218年頃のものと報告した。しかしながら、炭素14を用いた年代測定方法は前後60年ほどの幅がある。このためマハニーらの発見により、アルプス越えの経路が確定されたわけではない。
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