ハンガリーへの影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 09:44 UTC 版)
「汎ヨーロッパ・ピクニック」の記事における「ハンガリーへの影響」の解説
ピクニックを成功させたことは、ハンガリーの民主化勢力に民主化を推進していく一層の自信を植え付けた。またヨーロッパへの回帰思考は一層強まることになった。すでに一党独裁を放棄していたハンガリー社会主義労働者党も、10月23日にハンガリー社会党と改名し、共産主義体制は終わりを告げた。 民主化を達成したハンガリーだったが、誤算もあった。ネーメトらは一連の施策によってハンガリーをいち早くヨーロッパの一員に復帰させ、西側からの援助や投資を呼びこむつもりであった。しかし、このピクニックの影響で東ドイツ、チェコスロバキア、ブルガリア、ルーマニアとドミノ倒し的に共産主義政権が崩壊してしまった結果、ハンガリーが先んじて改革しているという印象は薄れてしまい、彼らが狙っていたような有利な条件を享受することは出来なかったのである。
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