ハコボ・ソベル、エンリケ・ソベル時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 02:19 UTC 版)
「アヤラ・コーポレーション」の記事における「ハコボ・ソベル、エンリケ・ソベル時代」の解説
アントニオ・デ・アヤラには息子が生まれず、3人の娘の結婚相手がアヤラ家の事業を受け継いだ。長女トリニダと結婚したハコボ・ソベル(1842-1896)の家系が今日のアヤラ財閥につながっており、次女カルメンと結婚したペドロ・ロハスの家系はソリアーノ財閥につながっている。トリニダとハコボ・ソベルの次男であるエンリケ・ソベル(英語版)(1877-1943)はフランスの名門グランゼコールであるエコール・デ・ミーヌ・ド・パリで学び、エンリケ・ソベルの時代には、生命保険、火災保険、投資保証などの事業を行う企業設立した。主力事業を金融と保険に転換し、バンク・オブ・フィリピン・アイランズ(英語版)(BPI)の株式の約40%を取得している。
※この「ハコボ・ソベル、エンリケ・ソベル時代」の解説は、「アヤラ・コーポレーション」の解説の一部です。
「ハコボ・ソベル、エンリケ・ソベル時代」を含む「アヤラ・コーポレーション」の記事については、「アヤラ・コーポレーション」の概要を参照ください。
- ハコボ・ソベル、エンリケ・ソベル時代のページへのリンク