ノロドム・スラマリットとは? わかりやすく解説

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ノロドム・スラマリット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/31 09:46 UTC 版)

ノロドム・スラマリット
នរោត្ដម សុរាម្រិត
カンボジア国王
ノロドム・スラマリット国王を模した蝋人形
在位 1955年3月3日 - 1960年4月3日

全名 នរោត្ដម សុរាម្រិត
ノロドム・スラマリット
出生 (1896-03-06) 1896年3月6日
フランス領インドシナ、カンボジア王国、プノンペン
死去 (1960-04-03) 1960年4月3日(64歳没)
カンボジアプノンペン
配偶者 シソワット・コサマック
子女
父親 ノロドム・スタロット
母親 バガワティ・バガナジャ
宗教 上座部仏教
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ノロドム・スラマリットクメール語: នរោត្ដម សុរាម្រិត / Norodom Suramarit, 1896年3月6日 - 1960年4月3日)は、カンボジア国王(在位:1955年3月3日 - 1960年4月3日)。

生涯

ノロドム王の王子ノロドム・スタロットの子としてプノンペンで生まれる。父ノロドム・スタロットの従弟であるシソワット・モニヴォン王の王女コサマック(従って父方の再従兄妹同士)を妃とし、その第一王子がノロドム・シハヌークである。

1930年代半ばまではモニヴォン王の後継と考えられ、30年代末にもシソワット家のモニレット親王とともに、再び後継候補とされた[1]。しかし、フランスの政策により、1941年に息子のシハヌークが王位を継承した。

1955年3月3日に政治活動への参加のため退位したシハヌークから王位を譲られて即位した。スラマリット国王の治世は、首相に就任したシハヌークの強力な国政指導と厳正な中立政策により、平和な時代が続いた。しかし健康を害したスラマリット国王は、1960年4月3日に在位5年で崩御した。以後カンボジアの王位は1970年ロン・ノルクーデターによる王制廃止まで空位となった。国王空位の間、シハヌークが国家元首として政務に当たり、コサマック王妃が国王の「象徴」とみなされた[2]

日本との関係

シハヌークからの譲位を受けてスラマリットが国王に復位した約1年後の1956年3月1日、スラマリット新国王の戴冠式に合わせて昭和天皇より大勲位菊花大綬章を受勲した(昭和天皇のカンボジア訪問はなくプノンペン駐箚の吉岡範武大使による伝達)[3]

脚注

  1. ^ オズボーン(1996年)、27ページ
  2. ^ オズボーン(1996年)、134ページ
  3. ^ 外務省情報局第一課『外務省発表文集 第一号(昭和三十年)』「一三、外交使節及び外国人叙勲関係」「3 カンボディア国皇帝ならびに皇后陛下に勲章伝達について」

参考文献

先代
ノロドム・シハヌーク
カンボジア王国国王
1955年 - 1960年
次代
1960年から1970年まで
空位
1970年から1993年まで
王政廃止
1993年から
ノロドム・シハヌーク



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