ドースト・ムハンマド・ハーン
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ドースト・ムハンマド・ハーン(1793年12月23日 - 1863年6月9日[1])は、アフガニスタンの国王(在位:1826年 - 1839年, 1843年 - 1863年[注釈 1])。サドーザイ朝に代わるバーラクザイ朝の創始者[1]。ドゥースト・ムハンマド[1]とも表記される。「ドースト・ムハンマド」は「ムハンマドの友」の意である[2]。
注釈
- ^ 「ドゥースト・ムハンマド」『岩波世界人名事典」p.1848 は、在位期間を1826年 - 1863年とする。『世界現代史11 中東現代史I』(山川出版社、1982年)p.326は、1826年 - 39年, 1843年 - 63年と二期に分ける。
出典
- ^ a b c d e f g h i 「ドゥースト・ムハンマド」『岩波世界人名事典」p.1848
- ^ a b c d e f g “作品2■アミール・ドースト・ムハンマド・ハーンおよび彼の末の息子”. 鮮麗なる阿富汗 一八四八~石版画にみるアフガニスタンの風俗と習慣. 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 (2007年). 2020年7月4日閲覧。
- ^ a b “バーラクザーイー”. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(コトバンク所収). 2017年5月27日閲覧。
- ^ 『世界現代史11 中東現代史I』(山川出版社、1982年)p.325
- ^ 『世界現代史11 中東現代史I』(山川出版社、1982年)p.325
- ^ a b “作品3■シャー・シュジャー・アル=ムルクの宮殿の内部”. 鮮麗なる阿富汗 一八四八~石版画にみるアフガニスタンの風俗と習慣. 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 (2007年). 2020年7月4日閲覧。
- ^ 『世界現代史11 中東現代史I』(山川出版社、1982年)pp.325-326
- ^ a b c d e 登利谷正人「コラム 19世紀アフガニスタンの対周辺国関係」、『アフガニスタンと周辺国-6年間の経験と復興への展望』(日本貿易振興機構アジア経済研究所、2008年)、p.137
- ^ a b c d e f g h i j k l “ドースト・ムハンマド”. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(コトバンク所収). 2017年8月9日閲覧。
- ^ a b “概要 アフガニスタンについて”. 鮮麗なる阿富汗 一八四八~石版画にみるアフガニスタンの風俗と習慣. 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 (2007年). 2017年5月27日閲覧。
- ^ 『世界現代史11 中東現代史I』(山川出版社、1982年)p.326
- ^ 『世界現代史11 中東現代史I』(山川出版社、1982年)p.326
- ^ 『世界現代史11 中東現代史I』(山川出版社、1982年)p.328
- ^ 『世界現代史11 中東現代史I』(山川出版社、1982年)p.328
- ^ 『世界現代史11 中東現代史I』(山川出版社、1982年)p.328
- ^ 『世界現代史11 中東現代史I』(山川出版社、1982年)pp.328-329
- ^ 『世界現代史11 中東現代史I』(山川出版社、1982年)p.326
- ^ 『世界現代史11 中東現代史I』(山川出版社、1982年)p.326
- ^ 『世界現代史11 中東現代史I』(山川出版社、1982年)p.326
- 1 ドースト・ムハンマド・ハーンとは
- 2 ドースト・ムハンマド・ハーンの概要
- 3 脚注
固有名詞の分類
アフガニスタンの君主 | ナスルッラー・ハーン ムハンマド・ナーディル・シャー アマーヌッラー・ハーン ドースト・ムハンマド・ハーン ザーヒル・シャー |
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