ドミトリーデミアシキンとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ドミトリーデミアシキンの意味・解説 

ドミトリー・デミアシキン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/31 16:42 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ドミトリー・デミアシキン(2010年)

ドミトリー・デミアシキン(Дмитрий Демяшкин, Dmitry Demyashkin, 1982年ソ連サランスク生まれ)は、スイスの市民権を取得したロシアのピアニスト。1999年よりスイスのヴィンタートゥーア在住。

生涯

デミアシキンは、モルドヴィア共和国の出身。7才よりピアノを始め、伝統あるカザン音楽院でW.スピリドノヴァに師事。2年後、新しく師事したK.A.シャシュキナのモスクワ移住に伴い、デミアシキンも家族と共にモスクワに転居し、1991年よりモスクワ中央音楽学校で学ぶ。 

1993年11歳でのチェコの国際コンクール優勝を皮切りに、デミアシキンは全ヨーロッパ及び北米を中心に2桁に上る数々の重要な国際コンクールの覇者となり、その演奏の類稀な豊かな音楽性、洗練された優雅さ、繊細さは、輝かしい超絶技巧を伴って各地の審査員や批評家たちに鮮烈な印象を与え続けてきた。

15歳の時、スイスで開催されたマルゲス国際マスタークラス(今日のアストナ国際夏季音楽アカデミー)に参加したが、その後主催者側から全額奨学金を授与されてさらに2回招待参加している[1]

1999年より、スイス・リラ財団の奨学金を得て、チューリッヒ芸術大学にてコンスタンティン・シェルバコフ、及びホメロ・フランセシュ各氏に師事。同時にT.L.コロス(ロシアの功労芸術家)のもとでモスクワ中央音楽学校での勉学を並行して修了。さらに、フランスドイツにおいて、レウ・ナウモフ、アレクセイ・リュビモフエリソ・ヴィルサラーゼドミトリー・バシキーロフ、ヴラディミール・ヴィアルドといったロシア楽派の巨匠達の下で研鑽を積んだ。 

また、チューリヒ芸術大学にて演奏家養成課程(2005)、及びソリスト課程(2007)を最優秀の成績で修了した後、2008年から2010年までチューリッヒ芸術大学にてホメロ・フランセシュ教授の助手を務めた。 

デミアシキンは世界各地で演奏活動に従事し、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団チューリッヒ室内管弦楽団ボン・ベートーヴェン管弦楽団リエージュ交響楽団プラハ交響楽団サンクトペテルブルク交響楽団、サンディエゴ・シンフォニーオーケストラ他と共演。中でもウラジーミル・フェドセーエフ指揮モスクワ・チャイコフスキー交響楽団とは既に何度も共演を重ねている。2012年よりスタインウェイ・アーティスト。 

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ リストの同窓会 のホームページ掲載のAstona夏期国際音楽アカデミー



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ドミトリーデミアシキン」の関連用語

ドミトリーデミアシキンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ドミトリーデミアシキンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのドミトリー・デミアシキン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS