トレンティーノ司教就任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/11 09:27 UTC 版)
「アレクサンデル・マゾヴィエツキ」の記事における「トレンティーノ司教就任」の解説
1424年6月25日、アレクサンデルは自身の教区に到着したが、正式に叙階式が行われたのは1425年9月27日だった。彼はアルプス山脈の麓にある戦略上極めて重要な土地を治めることになった。トレンティーノ司教領はチロル伯を兼ねるハプスブルク家の脅威にさらされていた。はるか遠くの王族でポーランド人に囲まれた新司教は、住民に驚きをもって迎えられた。アレクサンデル任命については、1412年に彼の姉ツィンバルカ・マゾヴィエツカと結婚したオーストリア公エルンストが背景にいた。トレンティーノ司教の任期中、アレクサンデルの命により最古のラテン語・ポーランド語辞書Wokabularz trydenckiが編纂された。
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