チェーザレ・マリアーニ
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チェーザレ・マリアーニ
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Cesare Mariani | |
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チェーザレ・マリアーニの版画作品「ポンペイの仮面売り」
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生誕 | 1826年1月13日 ローマ |
死没 | 1901年2月21日 (75歳没) ローマ |

チェーザレ・マリアーニ(Cesare Mariani、1826年1月13日 - 1901年2月21日)は、イタリアの画家である。教会や公共施設の装飾画を描いた。
略歴
ローマで生まれた。父親は銀行家、美術品収集家の一族、ジュスティニアーニ家(Giustiniani)のために働いた人物である。1837年にローマの美術アカデミーのアカデミア・ディ・サン・ルカに入学し、1842年から1850年の間は、宗教画も描いたトンマーゾ・ミナルディのスタジオで学んだ。ミナルディのスタジオにはグリエルモ・デ・サンクティス(Guglielmo De Sanctis)やチェーザレ・フラカッシーニ(Cesare Fracassini)、ニコラ・コンソーニ(Nicola Consoni)、チェーザレ・マリアネッチ(Cesare Marianecci)といった画家たちがいた。1850年にローマの展覧会に作品を出展した[1]。
1850年代後半から、ローマやラツィオの宮殿や教会の装飾画の画家として活動を始め、後にウンブリア、マルケ、アブルッツォでも働いた。1823年の火災での破壊から再建されたローマのサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂に1850年代の末から聖パウロの生涯を描いた一連の装飾画を描いた[1]。
1863年にアカデミア・ディ・サン・ルカの会員に選ばれ、1888年から1890年の2年間は会長も務めた。
1871年にイタリア王冠勲章(Ordine della Corona d'Italia)を受勲した。1872年にブラジル皇帝ペドロ2世から帝国バラ勲章(Imperial Ordem da Rosa)を受勲した。ペルージャやフィレンツェなどの美術アカデミーの会員にもなった[1]。 1870年代に建設されたイタリア政府財務省の建物(Palazzo delle Finanze)の天井画制作者を選ぶコンペに1878年に選ばれた[1]。
1880年代後半に制作したイタリア中部、アスコリ・ピチェーノにあるサンテミディオ聖堂(Cattedrale di Sant'Emidio)の装飾画などでも知られている。
1898年にローマで亡くなった。1863年に画家、陶芸家のヴィルジニア(Virginia Mariani: 1824–1898)と結婚していて息子のルチオ・マリアーニ(Lucio Mariani: 1865-1924)は考古学者として知られている。
脚注
参考文献
- Valerio Mariani, «MARIANI, Cesare» in Enciclopedia Italiana, Volume 22, Roma, Istituto dell'Enciclopedia Italiana, 1934.
- Silvia Silvestri, «MARIANI, Cesare» in Dizionario Biografico degli Italiani, Volume 70, Roma, Istituto dell'Enciclopedia Italiana, 2007.
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