ダイマル・ラケットのみんなの歌謡曲とは? わかりやすく解説

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ダイマル・ラケットのみんなの歌謡曲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/12 13:48 UTC 版)

ダイマル・ラケットのみんなの歌謡曲(ダイマルラケットのみんなのかようきょく)は、中部日本放送(CBCラジオ)で1967年1月9日 - 1982年9月10日の月曜日 - 金曜日に放送されていたミニ番組である。

概要

番組のタイトルにもある様に中田ダイマル・ラケット出演の番組だが番組内では、単に「みんなの歌謡曲」とだけタイトルコールされていた。放送時間は、初期は16時36分 - 17時で、CBCラジオ初の夕方の生ワイド番組多田しげおのそれ行け!にっこりワイド』の開始以降は15時40分 - 16時の20分番組であった。

番組の内容は、放送当時にヒットしていた歌謡曲を1コーラスかけながら、合間に名古屋を始めとする東海地方企業・店舗からのCMを、2人が漫才風に伝えるという、いわゆるインフォマーシャル番組であった。

曲間のCMは3本程度であり、CMとCMの間には、ピアノオルガンによる5秒程度のジングルが流れていた。CMも、長年繰り返し放送されていたものから、年に数回録音し直すものなど様々だったが、基本的なコンセプトは番組終了まで変わることもなく、結果的に15年も続く長寿番組となった。

大阪の朝日放送(ABCラジオ)でも1960年ごろから1975年にかけて、関西の企業・店舗による同じ題名・同じコンセプトの番組がウイークデーの14時10分 - 14時50分の間(1970年4月から月 - 金曜日)放送され、 1968年ころまでは南都雄二が加わっていた。

ダイマルの急逝と番組終了

1982年9月5日、ダイマルが胃潰瘍による腹膜炎のため急逝。ダイマルは死の直前までは元気で、CBCに出向いて数週分の録りだめをしていた。ダイマル死去のニュースは9月6日(月曜日)に報じられたが、その日の放送では、冒頭でCBCのアナウンサーがダイマル死去のニュースを伝え、「これがダイマルさん最後の放送となります。」とコメントして、生前に録音していた番組を通常通り放送した。翌日(9月7日)からは、録音されていた番組は使用せずに、アナウンサーが曲を紹介して、合間に通常のCMが流れる形で4日間放送されたが、9月10日(金曜日)をもって放送を終了した。

以後、翌週より放送を開始した『シンマとミミの歌謡ドライブ』、『唄啓のこれは得だすお聞きやす』、『いくよ・くるよのもうかりまっか?』と出演者と番組名の変更を繰り返しながらも、『みんなの歌謡曲』のコンセプトを継承した番組は約45年3ヶ月にわたって続いた。

番組テーマ曲

三波春夫の『チャンチキおけさ』のインストルメンタルバージョンであった。1971年ごろから小柳ルミ子の『わたしの城下町』になった。





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