タニノアローラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/28 00:12 UTC 版)
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この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。
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タニノアローラ | ||||||
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現役期間 | 1994年 - 1997年[1] | |||||
品種 | アングロアラブ(アラブ血量30.62%)[1] | |||||
性別 | 牝[1] | |||||
毛色 | 鹿毛[1] | |||||
生誕 | 1992年4月4日[1] | |||||
死没 | 不明 | |||||
登録日 | 不明 | |||||
抹消日 | 1997年8月4日[2] | |||||
父 | ミスターヨシゼン[1] | |||||
母 | マイリンドウ[1] | |||||
母の父 | タイムライン[1] | |||||
生国 | ![]() |
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生産牧場 | 春木昭雄[1] | |||||
馬主 | 谷脇秀高[1] | |||||
調教師 | 黒川武(道営)[1] | |||||
競走成績 | ||||||
生涯成績 | 26戦6勝[1](内サラ戦7戦1勝) | |||||
獲得賞金 | 1237万7000円[1] | |||||
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タニノアローラ(1992年4月4日 - 不明)は、日本の競走馬[1]。1994年のフラワーカップの勝ち馬である。
経歴
- 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ[3]
3歳(1994年)
1994年5月16日、岩見沢競馬場のアラ系3才新馬(ダート900m)でデビューし1着。6月1日のアラ系3才OPでの勝利によりオープン入り。重賞初挑戦となった6月29日のフラワーカップでは圧倒的1番人気に推されての出走となった。結果はミスリレハンメルに3馬差をつけ快勝し、重賞初制覇を果たした。7月のアラ系3才OPの2着を挟んでゴールドトロフィーに出走。1番人気のアイアイホーマーが失速する中、3着と健闘(勝ち馬:マサルテンボシ)。次戦のアラ系3才OPも2着と好走した後、札幌競馬場で行われたアラブ3才争覇に出走。直近の勝ち星が無かったことも響き5番人気に支持された。結果はサダノチャンピオンの9着と惨敗。次戦の銀杏特別はハカタヤマガサの2着と、勝ち星にこそ恵まれなかったが重賞以外では善戦を繰り広げた。11月3日には重賞のジュニアチャンピオンに出走。7番人気に支持されたタニノアローラは、1着馬サダノチャンピオンから遅れること10着惨敗で3歳シーズンを終える。
4歳(1995年)
4歳初戦は4月17日の陽春特別。サダノチャンピオンに次ぐ2着と惜敗。以降は特別競走に出走するも8着、7着と掲示板入りすら叶わなかった。5月25日、旭川競馬場で行われた4歳馬限定戦の北海盃に出走。7番人気の伏兵人気を覆せずサダノチャンピオンの8着と惨敗。8月1日にはCD級の北斗七星特別に出走。格を大きく落としたことで2番人気まで回復するもスマノエイカンの11着とシンガリ負け。
5歳(1996年)
古馬初戦は5月9日の福寿草特別。1番人気のゴールデンダストを破りシーズン初勝利を飾った。実にフラワーカップ以来の勝ち星となった。次戦はサラアラ混合戦(以下混合戦)の栗山特別。3番人気に支持されるもジュピター(サラ)の7着と惨敗。その後も混合戦のヒュドラ特別に挑むもスクオールタカ(サラ)の5着と掲示板入りするのがやっとだった。7月11日の宵の明星特別からアラブ戦に戻り、6番人気の3着と好走。翌8月8日の天の川特別では2着コイジガワに6馬身差をつけて勝利を収めた。その後は混合戦のディオスクロイ特別に出走。アラブのサダノチャンピオンの他に北斗盃2着のジョーパレス(サラ)が出走するなか5番人気に支持された。結果はショウエイヤングをハナ差で制し勝利。9月も引き続き混合戦のアルゲディ特別に出走。アラブとしては最も人気を集めた2番人気に支持されステディボーイの4着、3着との差はクビ差とサラブレッド相手に善戦。黄菊賞ではレーシングクィーンの7着と惨敗するも、10月29日の混合戦・十勝農協連特別ではリッシン(サラ)にクビ差の2着と好走。
6歳(1997年)
6歳初戦は4月22日のゆきやなぎ特別。前走の好走が評価されマサルテンボシに次ぐ2番人気に支持されるがファニーバージの4着と黒星スタート。次戦は混合戦の水芭蕉特別。結果はヤマフパディーの11着とシンガリ負け。その後も混合戦・朝里川特別に挑むもメグロタイクーンの8着と大敗を喫した。1997年8月4日付で登録を抹消・引退した[2]。引退後の動向は不明。
競走成績
血統表
タニノアローラの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | エルシド系(テディ系) |
[§ 2] | ||
父
ミスターヨシゼン Mr. Yoshizen 1984 鹿毛 |
父の父
キタノトウザイ1976 栗毛 |
スカレー | *エルシド | |
トモスカツプ | ||||
イナリトウザイ | サラ *カリム | |||
タクマサル | ||||
父の母
ヨシゼン1971 鹿毛 |
センジユ | 方景 | ||
イースタン | ||||
ヨシハート | マツギク | |||
ハートフジ | ||||
母
マイリンドウ 1980 黒鹿毛 |
タイムライン 1969 栗毛 |
タガミホマレ | ミネフジ | |
バイオレツト | ||||
リユウエイ | シユンエイ | |||
タツリユウ | ||||
母の母
マイオペレツタ1973 鹿毛 |
センジユ | 方景 | ||
イースタン | ||||
オペレツタ | ホールインワン | |||
ウーリキャップ | ||||
母系(F-No.) | オーバーヤン五ノ二(HUN)系(FN:不明) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | センジユ:S3×M3、方景:S4×M4×M5、バラツケー:S5×M5×M5、梅橋:S5×M5×M5 | [§ 4] | ||
出典 |
- 父の母ヨシゼンは1974年アラブ王冠(春)の勝ち馬。
- 三代母オペレツタは1967年のアラブ大賞典(春)勝ち馬。またこの牝系からは読売カップ(春)を制したフミエが出ている。
- 主な近親はフブキベル(アラブダービー)、バクシンオー(キングカップ、福山ダービー、アラブ王冠、福山大賞典、福山アラブマイラーズ)。
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o “タニノアローラ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2025年3月22日閲覧。
- ^ a b “タニノアローラ 出走履歴”. 地方競馬全国協会. 2025年3月22日閲覧。
- ^ “タニノアローラ 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2025年3月22日閲覧。
- ^ a b c “血統情報:5代血統表|タニノアローラ”. JBISサーチ. 日本軽種馬協会. 2025年3月22日閲覧。
- ^ a b “タニノアローラの血統表”. netkeiba.com. 2025年3月22日閲覧。
- ^ “マイリンドウの1992の血統データ”. 競馬ラボ. 2025年3月22日閲覧。
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、KEIBA.GO.JP、JBISサーチ
- タニノアローラのページへのリンク