セルビア帝国の主張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 13:40 UTC 版)
1345年、セルビア王ステファン・ウロシュ4世ドゥシャンは自らをツァーリと称し、1346年に新たに創設したセルビア総主教やブルガリア総主教の元、復活祭の日にスコピエで戴冠した。彼の帝号はブルガリア帝国をはじめ、ビザンツ帝国を除く周辺諸国に承認された。正式な称号は「セルビア人とギリシア人の皇帝」(現代セルビア語: цар Срба и Грка)で、これを用いたのはステファン・ウロシュ4世とその息子ステファン・ウロシュ5世(1371年没)のみである。ステファン・ウロシュ4世の異母弟でテッサリアの君主だったシメオン・ウロシュ・パレオロゴスとその息子ヨヴァン・ウロシュは、1373年までセルビア皇帝の称号を主張していた。帝号に含まれる「ギリシア人」の文言は、ギリシア人への支配権の主張と共にローマ帝国の伝統の継承を表している。
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