セルウィリウス氏族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/27 15:44 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動セルウィリウス氏族 (ラテン語: Gens Servilia) は、古代ローマの氏族のひとつ。紀元前5世紀から執政官を輩出し続けており、共和政後期にはプレブス系からも有力者を出し始め、紀元前203年には二人の執政官を氏族で独占した。
伝説のホラティウス三兄弟の決闘によってアルバ・ロンガからローマへと移り住んだ6つの氏族のうちの1つという[1]。彼らは氏族の宝としてトリエンス貨(アス (青銅貨)の1/3)を祀っており、伝説によれば氏族の運命によってその大きさを変えるとされ、毎年生け贄を捧げていたという[2]。
パトリキ系
プリスクス - ストルクトゥス家
- プブリウス
- クィントゥス・セルウィリウス・プリスクス・ストルクトゥス、紀元前494年の独裁官マニウス・ウァレリウス・マクシムスのマギステル・エクィトゥム[6]
- ガイウス・セルウィリウス・ストルクトゥス・アハラ (紀元前478年の執政官)[7]
- クィントゥス・セルウィリウス・ストルクトゥス・プリスクス、紀元前468年、466年の執政官[8]
- スプリウス・セルウィリウス・プリスクス、紀元前378年のケンソル[9]
- ガイウス
- ガイウス
- スプリウス・セルウィリウス・ストルクトゥス (紀元前368年の執政武官)[10]
- ガイウス
フィデナス家
- スプリウス
アクシッラ家
アハラ家
- クィントゥス
- クィントゥス
- クィントゥス
- クィントゥス・セルウィリウス・アハラ、紀元前365年、362年、342年の執政官[16]
- クィントゥス
トゥッカ家
カエピオ家
ゲミヌス家
- グナエウス
- クィントゥス
- プブリウス・セルウィリウス・ゲミヌス、紀元前252年、248年の執政官[25]
- クィントゥス
- ガイウス・セルウィリウス・ゲミヌス、紀元前218年の三人官[27]
その他
- ガイウス・セルウィリウス、紀元前102年のプラエトル。ルキウス・リキニウス・ルクッルスの後任としてシキリア担当[28]
プレブス系
カスカ家
ゲミヌス家
グラウキア家
ウァティア家
その他
- マルクス・セルウィリウス:紀元前181年のトリブヌス・ミリトゥム。プロコンスル、ルキウス・アエミリウス・パウルス・マケドニクスのリグリア出征に従軍[33]。
脚注
- ^ リウィウス『ローマ建国史』1.30.1-2
- ^ 大プリニウス『博物誌』34.38
- ^ Broughton, p.13.
- ^ Broughton, p.27.
- ^ Broughton, p.34.
- ^ Broughton, p.14.
- ^ Broughton, p.25.
- ^ Broughton, p.32.
- ^ Broughton, p.107.
- ^ Broughton, p.112.
- ^ Broughton, p.60.
- ^ Broughton, p.83.
- ^ Broughton, p.103.
- ^ Broughton, p.71.
- ^ Broughton, p.78.
- ^ Broughton, p.115.
- ^ Broughton, p.187.
- ^ Broughton, p.211.
- ^ a b Broughton, p.310.
- ^ Broughton, p.423.
- ^ Broughton, p.477.
- ^ Broughton, p.479.
- ^ Broughton, p.553.
- ^ Broughton, p.556.
- ^ Broughton, p.212.
- ^ Broughton, p.242、245.
- ^ Broughton, p.240.
- ^ Broughton, p.568.
- ^ Broughton, p.268.
- ^ Broughton, p.315.
- ^ Broughton, p.408.
- ^ Broughton, pp.574-575.
- ^ Broughton, p.385.
参考文献
- T. R. S. Broughton (1951, 1986). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1. American Philological Association
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