スミッソンの死とマリー・レシオとの結婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 18:20 UTC 版)
「エクトル・ベルリオーズ」の記事における「スミッソンの死とマリー・レシオとの結婚」の解説
1854年の3月3日、別居中の妻スミッソンがモンマルトルで世を去った。4年前から容体は一層悪くなり、加えて身体は不随になっていた。別居中であったが、彼女を見捨てることができなかったベルリオーズは、深い悲しみを味わい、『回想録』と友人フランツ・リストに宛てた手紙には悲痛な言葉がつづられている。 スミッソンを埋葬後、10月19日にマリー・レシオと正式に結婚する。息子ルイに宛てた手紙にはこのように書いている。 「私は一人で生きることもできないし、また14年来一緒に暮らしてきた女性を見捨てることもできなかった」(1854年にルイに宛てた手紙)
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