ストラスコーナ・アンド・マウントロイヤル男爵とは? わかりやすく解説

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ストラスコーナ・アンド・マウントロイヤル男爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/20 05:34 UTC 版)

ストラスコナ=マウントロイヤル男爵
Baron Strathcona=Mount Royal
創設時期 1900年6月26日
創設者 ヴィクトリア
貴族 連合王国貴族
初代 初代男爵ドナルド・スミス英語版
最終保有者 3代子爵アンソニー・チャップリン英語版
現所有者 5代男爵ドナルド・ハワード
相続人 アンガス・ハワード閣下
付随称号 なし
現況 存続
邸宅 コロンゼー・ハウス英語版
モットー 忍耐(Perseverance)
先頭に立て(Agmina Ducens)

ストラスコーナ・アンド・マウントロイヤル男爵(ストラスコーナ・アンド・マウントロイヤルだんしゃく、: Baron Strathcona and Mount Royal)は、イギリスの男爵貴族連合王国貴族爵位。スコットランド生まれのカナダ人実業家ドナルド・スミス英語版が1900年に叙位されたことに始まる。その後ハワード家に女系継承されて現在に至る。

歴史

男爵家の邸宅コロンゼー・ハウス英語版

投資家ドナルド・スミス英語版スコットランド生まれのカナダ人実業家で、国策会社ハドソン湾会社総督やモントリオール銀行頭取を務めた人物である[1]。スミスは1897年8月23日に連合王国貴族として「アーガイル州グレンコー及びカナダ・ケベック市マウントロイヤルのストラスコナ=マウントロイヤル男爵(Baron Strathcona and Mount Royal, of Glencoe in the County of Argyll and of Mount Royal in the City of Quebec, Canada)」に叙された[2][3][4]。さらに1900年、同じく連合王国貴族の「カナダ・ケベック市マウントロイヤル及びアーガイル州グレンコーのストラスコナ=マウントロイヤル男爵(Baron Strathcona and Mount Royal, of Mount Royal in the City of Quebec, Canada, and of Glencoe in the County of Argyll)」を授けられた[5]。スミスには息子がおらず、一人娘マーガレット・シャーロット英語版がいるのみだった。そのため1900年の爵位には、マーガレットとその男子にも継承を許す特別継承権が付されていた[2][5]

そのため初代男爵が死去すると、1897年の男爵位は廃絶したが、マーガレットが1900年の男爵位を継いだ[1][2]

2代女男爵マーガレットは、外科医ロバート・ジャレド・ブリス・ハワード (Robert Jared Bliss Howard) と結婚したことから[2]、以降は夫妻の息子(3代男爵)の系統が爵位継承を続けている。

3代男爵ドナルドは、統一党(ユニオニスト)英語版所属の庶民院議員(ノース・カンバーランド選挙区英語版選出)を務めたほか[6]挙国一致内閣英語版下で国王親衛隊隊長戦争政務次官英語版を歴任した[7]

その子の4代男爵ドナルドは、マーガレット・サッチャー首相の下で国防省を所管する閣外大臣を務めた[7]

その息子の5代男爵アンソニーが男爵家現当主である。


初代男爵は、その資産から、200万ドル近くを教育機関に遺贈し、うち50万ドルはイェール大学に贈られた[8]。これを受けて、イェール大学のキャンパスに新設された、教室や事務室を含む新しい建物シェフィールド=スターリング=ストラスコーナ・ホール (Sheffield-Sterling-Strathcona Hall) には、初代男爵を讃えて男爵名の一部が建物の名称に含まれている。

男爵家の本拠は、スコットランド西部のインナー・ヘブリディーズコロンゼー島に位置するコロンゼー・ハウス英語版とされている。

一覧

初代男爵ドナルド・スミス。

ストラスコーナ=マウントロイヤル男爵(第1期;1897年)

  • 初代ストラスコーナ=マウントロイヤル男爵ドナルド・アレキサンダー・スミス英語版1820年1914年[4]

ストラスコーナ=マウントロイヤル男爵(第2期;1900年)

  • 初代ストラスコーナ=マウントロイヤル男爵ドナルド・アレキサンダー・スミス英語版1820年1914年
  • 第2代ストラスコーナ=マウントロイヤル女男爵マーガレット・シャーロット・ハワード英語版1854年1926年
  • 第3代ストラスコーナ=マウントロイヤル男爵ドナルド・スターリング・パーマー・ハワード英語版1891年1959年
  • 第4代ストラスコーナ=マウントロイヤル男爵ドナルド・ユアン・パーマー・ハワード英語版1923年2018年
  • 第5代ストラスコーナ=マウントロイヤル男爵ドナルド・アレクサンダー・ユアン・ハワード(1961年 - )

爵位の法定推定相続人は現当主の息子(ドナルド・)アンガス・ルーリー・ハワード閣下 (the Hon. (Donald) Angus Ruaridh Howard、1994年 - )。

系図

脚注

  1. ^ a b den Otter, A. A. (23 September 2004) [2004]. “Smith, Donald Alexander, first Baron Strathcona and Mount Royal”. Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/36132. (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  2. ^ a b c d Arthur G.M. Hesilrige『Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc』Wellesley College Library、London, Dean、1921年、857頁https://archive.org/details/debrettspeeraget00unse/page/856/mode/2up 
  3. ^ “No. 26885”. The London Gazette (英語). 24 August 1897. p. 4725.
  4. ^ a b Martin, Joseph E. (2017). “Titans”. Canada's History 97 (5): 47–53. ISSN 1920-9894. 
  5. ^ a b c “No. 27205”. The London Gazette (英語). 26 June 1900. p. 3963.
  6. ^ Captain Hon. Donald Howard (Hansard)”. api.parliament.uk. 2025年7月20日閲覧。
  7. ^ a b Strathcona and Mount Royal, Baron (UK, 1900)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2025年7月20日閲覧。
  8. ^ “STRATHCONA LEFT $500,000 TO YALE”. New York Times. (1914年2月3日). https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1914/02/03/100298031.pdf 2012年5月15日閲覧。 

関連項目

外部リンク




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