ジローラモ・フランチェスコ・マリア・マッツォーラとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ジローラモ・フランチェスコ・マリア・マッツォーラの意味・解説 

パルミジャニーノ

(ジローラモ・フランチェスコ・マリア・マッツォーラ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/11 23:13 UTC 版)

パルミジャニーノ
Parmigianino
凸面鏡の自画像』(1523年 - 1524年)美術史美術館
生誕 Girolamo Francesco Maria Mazzola
(1503-01-11) 1503年1月11日
パルマ
死没 1540年8月24日(1540-08-24)(37歳没)
カザルマッジョーレ
テンプレートを表示

パルミジャニーノ(Parmigianino、1503年1月11日 - 1540年8月24日[1])は、マニエリスム初期、ローマなどで活躍したイタリア画家。本名は、ジローラモ・フランチェスコ・マリア・マッツォーラ (Girolamo Francesco Maria Mazzola)。

ミケランジェロダ・ヴィンチなどルネッサンスの影響を受けた。最も影響を受けているのはラファエロで、現存するスケッチの中でも、特にラファエロのスケッチを多く残している事からもうかがい知れる。独特な画風を持つパルミジャニーノの作品は、幻想的な物が多い。

生涯

2歳で父を亡くし、叔父であるPier Ilarioに育てられるが、この叔父が芸術家であったために絵画を学ぶ機会を得た[2]。1515年、叔父がパルマの教会の内装を手掛けることになり、若いパルミジャニーノも参加している。

1524年に自身の作品(凸面鏡の自画像)を持ってローマに行き、高い評価を得る。1526年には叔父と共にラウロの教会の内装を依頼され『聖ヒエロニムスの幻視』(現在ロンドンのナショナル・ギャラリー蔵)等を作成。しかしローマ略奪のためにローマを離れる。

37歳の若さでこの世を去ったのはその時期に流行した赤痢のためと言われている。

ギャラリー

参照

  1. ^ Parmigianino | Italian artist”. Britannica. 2025年1月11日閲覧。
  2. ^ Vasari, Giorgio (Bull, George, translator) (1988). Lives of the Artists: Volume 2, pp. 185-99. Penguin Classics. ISBN 0140444602.

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ジローラモ・フランチェスコ・マリア・マッツォーラ」の関連用語

ジローラモ・フランチェスコ・マリア・マッツォーラのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ジローラモ・フランチェスコ・マリア・マッツォーラのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのパルミジャニーノ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS