カミッラ・ゴンザーガと三人の息子の肖像とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > カミッラ・ゴンザーガと三人の息子の肖像の意味・解説 

カミッラ・ゴンザーガと三人の息子の肖像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/30 14:16 UTC 版)

『カミッラ・ゴンザーガと三人の息子の肖像』
イタリア語: Ritratto di Camilla Gonzaga coi tre figli
作者 パルミジャニーノ
製作年 1539–1540年ごろ
寸法 128 cm × 97 cm (50 in × 38 in)
所蔵 プラド美術館マドリード

カミッラ・ゴンザーガと三人の息子の肖像』(カミッラ・ゴンザ―ガとさんにんのむすこのしょうぞう、伊:Ritratto di Camilla Gonzaga coi tre figli) は、1539年から1540年頃に制作された、イタリアマニエリスム期の画家、パルミジャニーノと他の画家による絵画である。スペインマドリードにあるプラド美術館に収蔵されている。同様にプラド美術館に所蔵され、一致してパルミジャニーノに帰属されている『サン・セコンド伯爵ピエル・マリア・ロッシの肖像』の対作品となっている。

歴史

本作は、『サン・セコンド伯爵の妻』という作品として、マドリード王宮の1686年のコレクション目録に記載されている。人物は、この記載に基づいてカール5世 (神聖ローマ皇帝)コンドッティエーレであったサン・セコンド伯爵ピエル・マリア3世・デ・ロッシの妻であるカミッラ・ゴンザーガであると特定され、ロッシ家の子孫の一人も、パルミジャニーノ作のピエル・マリアの肖像画の存在について1630年に記載している。

フェリペ4世が、いくつかの領地に関するパルマファルネーゼ家との論争のためにロッシ家を支援した後、本作は1664年にスペインにもたらされた。本作は1535年から1539年頃の制作とされているが、パルミジャニーノへの帰属については議論の余地があり、作者はブロンズィーノの工房の画家とも同一視されている。 1540年に亡くなったパルミジャニーノは本作を完成させることができなかった可能性があり、おそらくパルミジャニーノのスケッチに基づいて、別の芸術家によって完成された[1]

概要

伯爵夫人は黒い背景に描かれ、高価な緋色のドレス、胸にフリルの付いたモスリン、そして豊富な宝石一式を身に着けている。彼女は右を向いており、概念上は夫の肖像を見つめている。伯爵夫人は三人の息子、トロイロ、フェデリーコ、イッポリトに囲まれている。このような図像が使用されたのは、イタリア美術では最初の例である[1]

三人の息子はパルミジャニーノ以外の画家の手になるように見え、おそらく別の時期に描き加えられた[1]

関連作品

脚注

  1. ^ a b c Mario Di Giampaolo, Elisabetta Fadda 2002.

 

参考文献

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  カミッラ・ゴンザーガと三人の息子の肖像のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「カミッラ・ゴンザーガと三人の息子の肖像」の関連用語

カミッラ・ゴンザーガと三人の息子の肖像のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



カミッラ・ゴンザーガと三人の息子の肖像のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのカミッラ・ゴンザーガと三人の息子の肖像 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS