ジェームズ・バルフォア_(工学者)とは? わかりやすく解説

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ジェームズ・バルフォア (工学者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/21 05:28 UTC 版)

ジェームズ・バルフォア

James Balfour
生誕 (1831-06-02) 1831年6月2日
スコットランドコリントン英語版
死没 (1869-12-19) 1869年12月19日(38歳没)
ニュージーランドティマルー港
配偶者 クリスティーナ・シムソン
子供 マリー・クロチルド・バルフォア英語版
ルイス・バルフォア英語版
業績
勤務先 オタゴ州英語版
プロジェクト ドッグ・アイランド灯台英語版
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ジェームズ・メルヴィル・バルフォア: James Melville Balfour (1831-06-02) 1831年6月2日 - 1869年12月19日(1869-12-19) )は、スコットランドニュージーランド海洋工学者。きわめて精力的な人物であり、ニュージーランドではわずか6年の滞在歴にもかかわらず、数多の灯台の設計や建築プロジェクトに参加した。オタゴ州英語版に雇用された後、ニュージーランド政府英語版から植民地海洋工学者に任命された。

生い立ち

コリントンの牧師館

1831年、エディンバラ南西部に位置するコリントン教区教会英語版牧師館にて末子として出生した[1]。父ルイス・バルフォア英語版牧師はコリントン教区教会で37年間教役者を務めた[1]。哲学者ジェームズ・バルフォア英語版はルイスの父方の祖父で、医師ロバート・ホワイト英語版は父ルイスの母方の祖父。1806年2月24日、ルイスはアン・マッキントッシュ(Anne Mackintosh)と結婚した。ルイスの子には医師のジョージ・ウィリアム・バルフォア英語版や、トマス・スティーヴンソン英語版と結婚したマーガレット・イサベラ・"マギー"・バルフォア(1829 - 1897)がいる[2]

ジェームズ・バルフォアはエディンバラ高等学校英語版で教育を受け[3]エディンバラ大学に進学した[1]土木工学を学び、また修行のためにワークショップに参加し、光学を学ぶためドイツへ渡ったこともあった[4]トマス・スティーヴンソン英語版デイヴィッド・スティーヴンソン英語版兄弟の下で徒弟期間を終え、事務所の灯台部門で働いた[1][5][6]

バルフォアはクリスティーナ・シムソン(Christina Simson)と結婚し、1862年に一人娘マリー英語版を儲けた[7]。マリーはジョージ英語版の息子であるジェームズ・クレイグ・バルフォア(James Craig Balfour)と結婚した[7]

ニュージーランド

バルフォア一家はサー・ラルフ・アバークロンビー号に乗船して、1863年9月14日にニュージーランドポート・チャルマーズ英語版に到着した[8][9]。バルフォア及び同僚のトマス・パターソン(Thomas Paterson)はオタゴ州英語版からの要請を受けており、技術職に任命された。バルフォアは海洋、パターソンは陸路を担当した[10]。パターソンはバルフォアより半年年上で、バルフォアと同じくエディンバラ高等学校出身であった[1][10]。バルフォアはサンダース岬英語版タイアロア岬英語版の灯台に使用した自作の光源装置をスコットランドから持ち込んだ[4]

バルフォアは"莫大なエネルギー"を持つ人物と形容された。半年以内で数多の灯台のプロジェクトを始動させた[4]。州との契約は1866年末に終了し(これがバルフォアの選択であるかどうかは不明)、次にバルフォアはウェリントン政府に植民地海洋工学者として雇われた[1][4]

死没

コリントン教会墓地にあるバルフォア家の墓

1869年12月中旬、カカヌイ川英語版で乗り物が横転しパターソンが溺死した。友人の訃報を聞いてバルフォアはすぐに葬儀に参列する準備を進めた[11]。1869年12月19日、8人の乗客が荒波の中、小型船によってティマルー港から沖に停泊していた"マオリ"号へと移った。小型船はトラブルに見舞われたが、乗客はマオリ号が送った救命ボートへ移ることができた。しかし激しい波によって救命ボートがマオリ号の方に流され、転覆した。バルフォアを含む2名の乗客が溺死した[12]

バルフォアの名はコリントン英語版の家族共同墓に刻まれている。

バルフォアは一流の工学者であり、ジョン・ブラケット英語版の後を継いでニュージーランド公共事業所の主任となることを期待されていた[4]

プロジェクトの一覧

バルフォアが設計あるいは監督した灯台の一覧を記す。その幾つかはヘリテージ・ニュージーランド英語版に選ばれている[1][4]

写真 灯台 場所 座標 概要 点灯日 遺産
タイアロア岬灯台英語版 オタゴ・ペニンシュラ英語版タイアロア岬英語版 南緯45度46分25.89秒 東経170度43分44.43秒 / 南緯45.7738583度 東経170.7290083度 / -45.7738583; 170.7290083 バルフォアが最初に着手したことの一つに、ポート・チャルマーズ英語版の船の安全を確保するこの灯台の設計を考えることがあった。南島で稼働中の灯台のうち最古である[13] 1865年1月2日 Category 1; number 2220
ドッグ・アイランド灯台英語版 フォーボー海峡ドッグ・アイランド英語版 南緯46度39分07秒 東経168度24分38秒 / 南緯46.65190度 東経168.4105度 / -46.65190; 168.4105 バルフォアが最初に着手したもう一つの仕事はフォーボー海峡を渡るあるいはブルッフ港英語版に向かう船の安全を確保することであった。ニュージーランドの中で最も高く、特徴的な外装をしている。稼働中[14] 1865年8月5日 Category 1; number 395
フェアウェル・スピット灯台英語版 フェアウェル・スピット英語版 南緯40度32分46秒 東経173度00分34秒 / 南緯40.546064度 東経173.009474度 / -40.546064; 173.009474 バルフォアによって設計され、死後に建設された。低く長い砂洲で頻繁に起こる座礁の対処の助けとなる。1897年に露出している外枠の木材の塔が鉄骨に置き換えられた。稼働中[15] 1870年6月17日 登録無し
ナゲット・ポイント燈台 ザ・カトリンズ英語版港のナゲット・ポイント 南緯46度26分53秒 東経169度49分01秒 / 南緯46.448133度 東経169.816933度 / -46.448133; 169.816933 バルフォアによって設計され、死後に建設された。ナゲット・ポイント燈台はクルサ川英語版河口の当時賑わっていたポート・モリヌークス英語版に向かう船の安全な渡航のために必要とされた。稼働中[16] 1870年7月4日 登録無し
キャンベル岬灯台英語版 マールボロ地方キャンベル岬英語版 南緯41度43分39秒 東経174度16分31秒 / 南緯41.727604度 東経174.275378度 / -41.727604; 174.275378 バルフォアによって設計され、死後に建設された。木造であったため老朽化が甚だしく、1905年に新しい構造に建て替えられた。稼働中[17] 1870年8月1日 登録無し
ポヌイ・パッセージ灯台 ハウラキ湾英語版ポヌイ島英語版パキヒ島英語版 南緯36度54分01秒 東経175度10分58秒 / 南緯36.900389度 東経175.182761度 / -36.900389; 175.182761 ニュージーランドの海上に位置する2つの灯台のうちの1つ。バルフォアはこの場所を推奨し、大まかな設計のみ行った。詳細はジェームズ・スチュアートが引き受けた。灯台守のコテージが撤去される1938年以前の見た目はビーン・ロック灯台と類似していた。現在は取り壊されてその役割はビーコンに移された[18] 1871年 解体済み
ビーン・ロック灯台英語版 ワイテマタ港英語版入り口の礁 南緯36度50分00秒 東経174度49分52秒 / 南緯36.833284度 東経174.831127度 / -36.833284; 174.831127 ニュージーランドの海上に位置する2つの灯台のうちの1つ。ポヌイ・パッセージ灯台と同様、細かい設計はスチューアトが担当した。稼働中[19] 1871年7月24日 Category 1; number 3295
サンダース岬灯台 オタゴ・ペニンシュラ英語版サンダース岬英語版近くのマタキタキ・ポイント。 南緯45度52分52秒 東経170度43分43秒 / 南緯45.881022度 東経170.728579度 / -45.881022; 170.728579 最初はサンダース岬に建てる計画をしていた。計画が大きく遅れたのちにジョン・ブラケット英語版によって設計され、マタキタキ・ポイント付近に設置された。2006年アルミニウムの塔に置き換えられた[20] 1880年1月1日 登録無し

エポニム

かつてはロングリッジ(Longridge)と呼ばれていた南島のある小さな町の名前が、同名の他の場所との混同を避けるため、バルフォア英語版に変更された。この「バルフォア」という名がこの町に住んでいたワイメア社従業員由来のものであるか、ジェームズ・バルフォア由来のものであるかは定かでない[21]

小説家エレノア・カットンThe Luminaries英語版 の執筆の際に、ニュージーランド国立図書館英語版のウェブサイトのサービス Papers Past を使って、ウェスト・コースト・ゴールドラッシュ英語版をモチーフにしたキャラクターの相応しい名前を決めた。当時ウェスト・コースト地方で活動していたバルフォアを知り、カットンはバルフォアの姓を取って、その船舶代理店店主のキャラクターの名をトマス・バルフォア(Thomas Balfour)にしたと言われる[22]

出典

参考文献

書籍

新聞

ウェブサイト

  • Whitehouse, Olwyn. “Shipping News 1863”. rootsweb. New Zealand Bound. 2015年1月6日閲覧。



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