シーギリヤ王宮の建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 16:53 UTC 版)
「カッサパ1世」の記事における「シーギリヤ王宮の建設」の解説
父殺しという仏教徒として最大の罪を犯したカッサパは、民衆や仏僧から「父殺しのカッサパ」として軽蔑された。このことに加えて弟からの反撃を恐れたカッサパは首都アヌラーダプラを離れ、シーギリヤ・ロックの上に王宮を築いた。また岩の周辺には都市を建設した。この岩山の頂上に王宮を建設するというのは亡き父ダートゥセーナの夢でもあった。王宮の工事には7年を要した。 シーギリヤ・ロックは巨大な岩山であり、見晴らしが非常によかった。そのためカッサパはこの地を王都として選んだ。また岩山の周囲には塁壁や堀が造られ、堀にはワニが放たれた。堀の内側には「水の庭園」が築かれ、複数の池や噴水などが設置された。これらの池や噴水を維持するために高度な配水システムが整備され、これは現在においても機能している。 シーギリヤ・ロックの上には王宮が設けられ、その他の建築物やプールも設置された。山の中腹にはフレスコ画「シーギリヤ・レディ」が描かれた。
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