ショートトラックスピードスケート選手時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 08:45 UTC 版)
「植松仁」の記事における「ショートトラックスピードスケート選手時代」の解説
1974年6月21日、岐阜県羽島郡岐南町に生まれる。5歳の頃にショートトラックスピードスケートを始める。高校卒業後は働きながらスケートを続けようとしたが、就職するつもりでいた会社が倒産し、しばらくは無職のまま競技生活を続ける。その後別の会社への就職が決まり、1996年全日本選手権総合優勝。1996、1997年世界選手権代表。1998年長野オリンピックでは500mで銅メダルを獲得した(1000mは15位)。 しかし長野オリンピック後はスランプに苦しみ、所属していた会社(ベローチェ)の経営状況が悪化したこともあって解雇される。周囲の支援を受けながら競技生活を続けていたが、将来への展望が見い出せない中、長野オリンピックで銅メダルを獲得した実績などから特別枠で日本競輪学校に入学できることを知り、かねてからプロスポーツ選手を志していた植松は入学を決意する。
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