シェションク6世とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > シェションク6世の意味・解説 

シェションク6世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/04 14:19 UTC 版)

シェションク6世Shoshenq VI、在位:紀元前804 ‐ 798年頃)は古代エジプト第23王朝ファラオ。即位名はウセルマアトラー・メリアメン[1]

概要

タケロト2世との政争に勝ち、テーベ上エジプトの支配権を奪取したペディバステト1世の後継者。第22王朝初代の王シェションク1世から数えると4人目の同名の王であることから、多くの研究者は長年、この王をシェションク4世と呼び、一般向けに著された書籍の多くもこれに倣って4世の名で紹介していた[2]。しかし近年の調査によってシェションク3世の後継者にもう一人シェションクという名のファラオが存在した事が判明したため、第22王朝の本流でヘジュケペルラーという即位名を持つこの人物をシェションク4世と呼ぶようになり、第23王朝に属するウセルマアトラー・メリアメン・シェションクはシェションク6世という呼び名に改められた[3]

王の治世についてはカルナックのメンチュ神殿の屋根に刻まれた碑文から治世4年目の日付が、ナイルの水位記録 No.25からは6年目の日付が確認されている[1]。しかしその後、ペディバステトに敗れて西方のオアシス地帯に逃れていたタケロト2世の王子オソルコンとバクエンプタハが勢いを盛り返し、シェションク6世は権力の座を追われた。シェションク3世の治世39 年目頃の事であったと見られている。 オソルコンはその年に兄弟と行ったテーベの再征服について水位記録No.7で明示しており、そこには「彼らと戦った者全てが覆された」と記述されている[4] 。その後オソルコンはオソルコン3世として即位し、バクエンプタハはヘラクレオポリスの将軍となった。これ以降、シェションク6世の名は記録から消え、どうなったかは定かでない。

脚注

出典

  1. ^ a b Aston, 1989, pp.139-153
  2. ^ クレイトン 1998, p.235
  3. ^ ドドソン, ヒルトン 2012, p.224
  4. ^ Kitchen,1986, p.340

注釈

参考文献


先代
ペディバステト1世
ファラオ

前804年 - 前798年
次代
オソルコン3世



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  シェションク6世のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「シェションク6世」の関連用語

シェションク6世のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



シェションク6世のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのシェションク6世 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS