ザンネク領主(ゾウネ男爵)とツェリェ伯の一覧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 20:15 UTC 版)
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ゾフネク(ザンネク)領主、またはゾウネ男爵 ゲブハルト(1130頃-1144) ゲブハルト2世(1173–1227) コンラート1世(1255頃死去) ウルリク1世(1265頃死去) ウルリク2世(1316頃死去)…ホインブルク伯ウルリヒ2世とバーデン辺境伯女アグネス(ヘルマン6世の娘)の娘カタリナと結婚した。 フリデリク1世(1300頃-1359/60)…ウルリク2世の子。1341年からツェリェ伯。 下に付す家系図のようにウルリクが1人だけであったか、表のようにウルリク1世とウルリク2世の2人がいたのかは現在不明である。 ツェリェ(ツィリ)伯 ウルリク1世(1331-1368)…フリデリク1世の息子でカルニオラ総督。オルテンブルク伯女アデルハイトと結婚した。 ヘルマン1世(1332/34-1385)…フリデリク1世の息子。ボスニアのバンスティエパン2世の娘カタリナと結婚した。 ヴィルヘルム(1361/62-1392)…ウルリク1世の息子。ポーランド王カジミェシュ3世の娘アンナと結婚した。アンナ・ツィレイスカ(1380–1416)…ヴィルヘルムの娘。ポーランド王ヴワディスワフ2世と結婚した。 ヘルマン2世(1365-1435)、ヘルマン1世の息子。クロアチアとスラヴォニアのバンバルバラ・ツェリスカ(1390頃-1451)…ヘルマン2世の娘。ハンガリー王ジギスムントと結婚した。 フリデリク2世(1454死去)…ヘルマン2世の息子で1436年から帝国諸侯。スラヴォニアのバンで、フランコパン家のエリザベスと1度目の結婚。後にデセニス家のヴェロニカと2度目の結婚。ウルリク2世(1407–1456)フリデリク2世の子。ブランコヴィッチ家のカタリナと結婚した。 ウルリク2世の未亡人であるカタリナが暫定的に伯領を統治した(1456–1458)後、1458年にシュタイアーマルク公国へと併合された。
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