サダム政権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 11:02 UTC 版)
詳細は「イラン・イラク戦争」および「サッダーム・フセイン」を参照 1979年のイラン革命を切っ掛けに中央条約機構(CENTO/旧中東条約機構)が崩壊すると、中東全体が全く新しい軍事バランスに向かって動き出した。1979年、バクル大統領が辞任し、サッダーム・フセインが大統領と革命指導評議会(RCC)議長の座を譲り受けた。イランとイラクとの国境をめぐり、1980年から1988年にかけてイラン・イラク戦争が勃発した。イラク政府は、ヨーロッパ、アメリカ、ソ連、中国などほとんどの国から支援を受けた。ただし、この戦争中にイラクは化学兵器を使用し、国際社会から大きな批判を浴びた。戦争により、イラクはペルシャ湾周辺の中では軍事大国となったが、一方で、国家財政は悪化した。
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