ゴードン・チャン=フーとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ゴードン・チャン=フーの意味・解説 

ゴードン・チャン=フー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/17 12:08 UTC 版)

ゴードン・パイア・チャン=フー
Gordon Paiʻea Chung-Hoon
生誕 1910年7月25日
ハワイ領土 ホノルル
死没 (1979-07-24) 1979年7月24日(68歳没)
所属組織 アメリカ海軍
軍歴 1934 - 1959
最終階級 海軍少将
戦闘 第二次世界大戦
テンプレートを表示

ゴードン・パイア・チャン=フー英語:Gordon Paiʻea Chung-Hoon、1910年7月25日 - 1979年7月24日)は、アメリカ合衆国海軍軍人。最終階級は海軍少将第二次世界大戦に参加し、のちに初のアジア系アメリカ人の海軍将官となる。

経歴

初期

中国人英国人ハワイ人の混血である父ウィリアム・チャン=フー・ジュニア(William Chung-Hoon Jr.)とハワイ人である母アグネス・プナナ(Agnes Punana)との間に生まれる。祖父ウィリアム・チャン=フー(William Chung-Hoon)は純中国系アメリカ人である[1][2]

1929年にプナホウ・スクールを卒業する。

軍歴

海軍兵学校に入学し、1934年5月にアジア系アメリカ人初の卒業生となる[3]。在学中、チャン=フーは海軍兵学校のアメリカンフットボール選手団の一員としてハーフバックとパンターを務め、そして1934年にそれまで11年連勝を続けていた陸軍士官学校チームに対し勝利を収めた[4]。チャン=フーは1944年5月から1945年10月にかけてのフレッチャー級駆逐艦DD-502 シグスビー」艦長として勇敢で英雄的な功績をたたえ、海軍十字章名誉負傷章を授与される。

1945年春、九州沖にて空母機動部隊の護衛中に「シグスビー」は日本軍機20機の駆逐を支援する。1945年4月14日、「シグスビー」は沖縄沖にてレーダーピケット任務中に神風特攻の突入を受ける。これにより艦の右舷機関の出力は5ノットまで低下し操舵も困難となる。この被害にもかかわらずチャン=フー艦長は「長期かつ有効な対空砲火」の維持を目的に、当該海域に留まることを命じた。継続する日本軍の空襲に対して「シグスビー」はダメージコントロールを実施つつ自力航行での帰港を目指し努力した[5]

1959年10月、海軍少将の階級で退役する。

退役後

退役後のチャン=フーはハワイ州農務省長官を務め、そして1979年7月に死去する[5]

その後、功績をたたえアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の43番艦「チャン=フー」として命名されている。

脚注

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ゴードン・チャン=フー」の関連用語

ゴードン・チャン=フーのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ゴードン・チャン=フーのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのゴードン・チャン=フー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS