コンゴ盆地条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/31 19:48 UTC 版)
1885年に行われたベルリン会議にて、欧米15カ国によるコンゴ盆地の地理的確定とコンゴ自由国のコンゴにおける統治権の承認が確認された。コンゴ盆地条約またはコンゴ条約と呼ばれるこの条約で、コンゴ盆地はベルギー国王レオポルド2世の私領とされた。国王の統治は他の植民地でも類例をみないほど苛烈と言われ、のちに人道問題への内外からの批判により、統治権をベルギー政府に売り渡すこととなった。
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