コルニーロフ事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 00:02 UTC 版)
「東部戦線 (第一次世界大戦)」の記事における「コルニーロフ事件」の解説
ケレンスキーはブルシーロフを解任し、ラーヴル・コルニーロフを据えたが、コルニーロフは戦力の温存を決め、攻勢を中断してしまう。7月19日、ドイツ軍は東部軍参謀長マックス・ホフマンの下、ズロチョフで攻勢に出た。約20Kmに亘りロシア軍の前線が崩壊した。ロシア兵は敗走し壊乱に近い状態となった。ガリシア東部でもオーストリア軍の攻撃が開始され、7月29日タルノポリが占領された。一方、ロシア国内では、ボリシェヴィキによる武装デモ(七月蜂起)が7月16日に起き、騒乱が20日まで数日にわたって続く程の混乱に見舞われた。 詳細は「コルニーロフ事件(ロシア語版、英語版)」を参照
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