ケン・ドーン_(プロレスラー)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ケン・ドーン_(プロレスラー)の意味・解説 

ケン・ドーン (プロレスラー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 13:19 UTC 版)

ケン・ドーン
プロフィール
リングネーム ケン・ドーン
ケニー・ダイクストラ
ケニー
ケン・フェニックス
本名 ケネス・ジョージ・ドーン
ニックネーム シンプリー
身長 185cm
体重 100kg
誕生日 (1986-03-16) 1986年3月16日(37歳)
出身地 アメリカ合衆国
マサチューセッツ州
サウスブリッジ
トレーナー キラー・コワルスキー
デビュー 2001年
テンプレートを表示

ケン・ドーンKenneth George Doane1986年3月16日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーマサチューセッツ州ウースター郡サウスブリッジ出身。

経歴

2001年、15歳でプロレスデビュー。ニューイングランド地方で活動した後、数々のレスラーを世に送りだしたキラー・コワルスキーの下で本格的にプロレスを学ぶ。その後WWEに入り、下部組織のOVWにて活動をする。

2003年に、ジョバーの若手選手としてRAWにてTVショーデビュー。2004年にも前座番組ヒートに登場している。

それから二年後の2006年1月に、ケニーKenny)というリングネームで5人組ユニットスピリット・スクワッドの一員としてRAWに登場。ショーン・マイケルズと抗争した後、4月にはマイキーと組んで、ビッグ・ショーケイン組から世界タッグ王座を奪取する。その後ビンス・マクマホンの下でDXと抗争するが、負けがこみメンバー内でも徐々に亀裂が生じ、11月のCyber Sunday 2006で、リック・フレアーロディ・パイパー組にタッグ王座を奪取されてしまう。

2007年になってからは、その他のメンバーはOVWに戻され、ケニー1人で活動することになる。リングネームをケニー・ダイクストラKenny Dykstra)に改めた。6月に行われたドラフトにてSmackDown!に移籍。移籍後はビクトリアをマネージャーにつけ、ジミー・ワン・ヤントリー・ウィルソン組や、チャック・パルンボミシェル・マクール組と抗争。

1年以上WWEのスクリーン上に出ること無く長期欠場していたが2008年8月のSmackDown!で復帰。復帰早々いきなりWWE王座戦でトリプルHと対戦するが、あっけなく敗退。その翌週にはロン・キリングスのWWE復帰後のデビュー戦の相手を務めるも、この試合でも敗れてしまっている。同年11月10日にWWEを解雇された。

WWE解雇後は本名名義でインディー団体で活動するようになり、DRAGON GATE USATNA、Evolveなどに参戦。2011年11月にはWWEのSmackDown!のダークマッチに登場し、ジャスティン・ガブリエルと戦い敗れている。

2021年4月20日、ツイッターで引退することを発表[1]

得意技

ダイビング・レッグドロップ。空中で体を後ろ反らすように片ひざを曲げ、足をつかむように飛ぶのが特徴。
ジャンピング・カッター
ダイビング・ラリアット

獲得タイトル

WWE

脚注




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ケン・ドーン_(プロレスラー)」の関連用語

ケン・ドーン_(プロレスラー)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ケン・ドーン_(プロレスラー)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのケン・ドーン (プロレスラー) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS