エドゥアルド・グラチとは? わかりやすく解説

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エドゥアルド・グラチ

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/13 21:12 UTC 版)

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  • エドゥアルド・グラーチ
エドゥアルド・ダヴィドヴィチ・グラチ
生誕 (1930-12-19) 1930年12月19日
出身地 ロシア
学歴 モスクワ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト指揮者
担当楽器 ヴァイオリン

エドゥアルド・ダヴィドヴィチ・グラチロシア語: Эдуард Давидович Грач, ラテン文字転写例:Eduard Davidovich Grach, 1930年12月19日 - )は、ソビエト連邦出身のヴァイオリニスト指揮者[1][2]

経歴

オデッサ(現ウクライナ)生まれ。6歳からベンジャミン・モルドコヴィチにヴァイオリンの手ほどきを受け、ピョートル・ストリャルスキーの薫陶も受けた。第二次世界大戦中はノヴォシビルスクでジョセフ・ガットマンの教えを受けている。1944年からモスクワ音楽院付属中央音楽学校でアブラム・ヤンポリスキーのクラスに入り、1953年にはモスクワ音楽院に進む。在学中の1949年にはブダペスト青少年音楽祭コンクールで優勝、1955年にロン=ティボー国際コンクールのヴァイオリン部門で3位入賞を果たしている。1956年にヤンポリスキーが亡くなると、先輩であるダヴィッド・オイストラフから1958年まで指導を受けた。

1953年頃からソリストとしての活動を始め、1962年にはチャイコフスキー国際コンクールのヴァイオリン部門で5位に入賞した。1964年にはエフゲニー・マリーニンおよびナタリア・シャホフスカヤとピアノ三重奏団を結成して室内楽の演奏活動も行っている。1979年からは指揮者としても活動を始め、1980年にはヴィオラ奏者としての活動も行うようになった。

教育者としては1989年から母校のモスクワ音楽院で教鞭をとり、1990年から同音楽院教授、1995年から1998年まで同音楽院のヴァイオリン科主任教授を務めた。1990年にはムジコヴィ室内管弦楽団を結成して音楽監督となった。

  1. ^ アーカイブ 2018年8月5日 - ウェイバックマシン
  2. ^ アーカイブ 2019年2月8日 - ウェイバックマシン



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