クルシェネク版の成立
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「交響曲第10番 (マーラー)」の記事における「クルシェネク版の成立」の解説
『マーラー伝』の著者リヒャルト・シュペヒトによれば、マーラーは、完成することのできなかった第10番のスコアを焼却するように、妻アルマに言い残した。しかし、アルマは楽譜を形見として所持していた。 1924年、アルマは作曲家である娘婿のエルンスト・クルシェネクに第10番の補筆完成を依頼、ウィーンのパウル・ソルナイ(アルマの娘アンナ・ユスティーネの結婚相手)社からマーラーの自筆楽譜をファクシミリ版として出版する。クルシェネクは第1楽章をほぼ草稿のまま演奏譜に仕立て、第3楽章のオーケストレーションを補筆して完成させた。これにフランツ・シャルクや、アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーも協力した。 同年10月14日、クルシェネク版による第1楽章と第3楽章がウィーンでフランツ・シャルク指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によって初演。 1942年、音楽学者ジャック・ディーサー(英語版)がドミートリイ・ショスタコーヴィチに補筆依頼するが、ショスタコーヴィチは断った。
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