ギー&アルマリックによる統治時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 03:51 UTC 版)
「キプロス王国」の記事における「ギー&アルマリックによる統治時代」の解説
ギーはもともとフランスの騎士で、十字軍としてエルサレムに赴いた。その後、十字軍国家であるエルサレム王国の王女シビーユ(在位1186年 - 1190年)と結婚し、後にシビーユがエルサレム女王に即位したため、その共同統治者となった。ところが、1187年にイスラムの英雄サラーフッディーンにハッティンの戦いで敗れ、エルサレムまで奪回されティールの港に追い詰められた。リチャード1世らの来援(第3回十字軍)は、エルサレム王国救援のために派遣されていた。 ティール港はヴェネツィア、ジェノヴァ、ピサの商船が集まるレバント貿易(東方貿易)の重要港で、ティールを抑えているギーにはエルサレムを失ったとはいえ、莫大な関税収入があった(なお、この前後に女王シビーユは亡くなっていた)。ギーはサラーフッディーンに追い落とされればキプロスに逃げていくつもりだったのだろう。この島は後に十字軍国家にとって重要な後方供給基地となる。
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