ギスコの死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 20:52 UTC 版)
ポリュビオスによると、ギスコは彼の兵に捕らえられ、敗北したカルタゴの司令官の例に従って、磔の刑に処された。戦闘後(あるいは戦闘中)のギスコの行動に関しては、いくつかの仮説が可能である。ポリュイオスは彼が「捕らえられた」と記していることから、一旦は脱出を試みたことが分かる。彼の旗艦からボートで脱出し、その後彼と共に脱出した兵が彼を見限って処刑したのかもしれない。また、陸上に脱出したところを、サルディニアの同盟軍に捕らえられたのかもしれない。ローマはカルタゴに代わってサルディニアの支配者になったが、その後平穏になるまでに何年も現地人と戦う必要があった。
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