キヤト氏の千人隊長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 07:17 UTC 版)
『モンゴル秘史』では忙格禿乞顔(mánggétūqǐyán)、『集史』ではمونگدو قیان(Mūngedū Qiyān)と記されており、モンゲトゥ・キヤン(Mönggetü Qiyan)の名で知られる。『モンゴル秘史』によると、キヤト氏の長バルタン・バアトルの長子として生まれたという。弟にはチンギス・カンの父イェスゲイ・バアトルが存在する。 モンゲトゥ・キヤンにはチャンシウダイ(Čangši'udai)という息子がおり、「キヤト・チャンシウト」という氏族集団を形成した。この「キヤト・チャンシウト」氏にはオングル・ノヤンの率いるケフリン・バヤウト集団が属していた。キヤト・チャンシウト氏とケフリン・バヤウト集団は早い段階からチンギス・カンの下に仕えており、1206年にモンゴル帝国が建国されるとモンゲトゥ・キヤンは千人隊長(ミンガン)に任じられた。また、『集史』によるとモンゲトゥ・キヤンはクキ・ノヤンと2人で1つの千人隊を率いていたという。 経緯は不明であるがモンゲトゥ・キヤンの後裔はジョチ・ウルスに仕えたようで、トクタの時代には千人隊から拡大して万人隊を形成していたという。
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