カーディリー教団とは? わかりやすく解説

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カーディリーきょうだん 【カーディリー教団】


カーディリー教団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/20 10:22 UTC 版)

カーディリー教団アラビア語: القادرية, ラテン文字転写: al-Qādiriyya)は、イスラームにおける神秘主義教団のひとつ[1]。名称は教団の創設者とされる12世紀の説教師、アブドゥルカーディル・ジーラーニーの名前に由来する[1]。世界最古のイスラーム神秘主義教団である[1]

歴史

教団の名祖であるアブドゥルカーディル・ジーラーニーはハンバリー派の法学者である[2]。バグダードのアブー・サイード・ムバーラク・マフズーミーの学院(マドラサ)で学び、ムバーラク・マフズーミーが1119年に亡くなると彼を引き継いで学院長(シャイフ)になった[2]。家族とともに学院に住み込んで教え、1166年に亡くなった[2]。ジーラーニーの息子、アブドゥルラッザークが新たに学院長に就任して学院の運営を続けた[2]。アブドゥルラッザークは父の伝記を出版した。伝記はジーラーニーを教団の創設者として理想化するものであった[2]

教団は繁栄し、モンゴルによるバグダード攻略(1258年)によっても壊滅しなかった[2]。アッバース朝瓦解後に書かれた書物には名祖アブドゥルカーディル・ジーラーニーの聖者性の強調が再びみられるようになる[2]。ヌールッディーン・シャッタナウフィー著 Bahjat al-asrar fi ba'd manaqib 'Abd al-Qadir(アブドゥルカーディルの神秘的行跡における秘密の喜び)は名祖ジーラーニーをイスラームの中で最も偉大な聖者であると説いた[2]。これらの書物により、バグダードからはるか離れた地にも教団の影響力が及ぶようになった[2]。15世紀末には、西はマグリブやアンダルス、東はインドまで、南北はアナトリア半島やアフリカの角に至るまで、教団の支部が設立された[2]

中央アジアから中国へは、ホージャ・アーファークが1674年に臨夏に入り、1689年に亡くなるまで同地で説教と信者の獲得に努めた[2][3]。彼の弟子の祁静一中国語版がカーディリー教団のスーフィズムを中国に根付かせたと言われている[4]

インド亜大陸へのカーディリー教団の拡大には、17世紀のパンジャーブ語詩人、スルターン・バーフー英語版の活動による寄与に大きいものがあった[5]。彼はスーフィーの清貧の理想を、全部で140作を超える数のパンジャーブ語詩で表現した[5]

マグリブと西アフリカでは、クンタ氏族の者たちがカーディリー教団の拡大に関わった[6]。16世紀、クンタ氏族のシーディー・アフマド・バッカーイーがワラータ(現在のモーリタニア南部)にカーディリー教団の修行道場(ザーウィヤ)を設立した[6]。18世紀にはクンタ氏族の者たちがニジェール川中流域へも移住した[6]。シーディー・ムフタール(1728–1811)が分裂状態にあったクンタ氏族を統一すると、西アフリカのイスラームは彼のリーダーシップにより、マーリキー派の法学とカーディリー教団のスーフィズムの組み合わせで再興した[6]

ナイジェリアのゴビル出身のウスマン・ダン・フォディオ(1754-1817)はイスラームの古典的な教養に通じた宗教者であるが、カーディリー教団の教えの大衆化に寄与した[7]。1789年に奇跡を起こす力を得たという自覚を得たウスマンは、人々に特別な祈祷(アウラード)のやり方を教え始めた[7]。ウスマンはさらにその後、夢の中でアブドゥルカーディル・ジーラーニーと出会い、イニシエーションを受けて、預言者ムハンマドにも繋がる精神的な繋がりの連鎖(スィルスィラ)に加わることを許されたと考えるようになった[7]

出典

  1. ^ a b c カーディリー教団 - コトバンク/世界大百科事典
  2. ^ a b c d e f g h i j k Omer Tarin, Hazrat Ghaus e Azam Shaykh Abdul Qadir Jilani sahib, RA: Aqeedat o Salam, Urdu monograph, Lahore, 1996
  3. ^ Jonathan Neaman Lipman (1 July 1998). Familiar strangers: a history of Muslims in Northwest China. University of Washington Press. pp. 88–. ISBN 978-0-295-80055-4. https://books.google.com/books?id=Y8Nzux7z6KAC&q=ataq+allah&pg=PA72 
  4. ^ Gladney, Dru. "Muslim Tombs and Ethnic Folklore: Charters for Hui Identity"[リンク切れ] Journal of Asian Studies, August 1987, Vol. 46 (3): 495-532; pp. 48–49 in the PDF file.
  5. ^ a b Cuthbert, Mercy (2022年6月14日). “Qadiriyya Tariqa | Founder, History, Beliefs and More” (英語). World Religions. 2023年8月5日閲覧。
  6. ^ a b c d Ira M. Lapidus, A History of Islamic Societies, Cambridge University Press, p. 409
  7. ^ a b c Lapidus, Ira M. A History of Islamic Societies. 3rd ed. New York, NY: Cambridge University Press, 2014. pg 469


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