オルガ・ネメスとは? わかりやすく解説

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オルガ・ネメス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/26 01:40 UTC 版)

オルガ・ネメス
オリガ・ネメス(右)のチーム TTC Langweid、欧州カップ2005年度。 左から Andrea Bakula、 Yunli Schreiner、 Csilla Bátorfi、Lin Xu
基本情報
生年月日 (1968-06-09) 1968年6月9日(54歳)
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オルガ・ネメス(Olga Nemes、1968年6月9日 - )はルーマニアの元卓球選手。1984年以降はドイツでプレーをしている。

経歴

ルーマニアユース

ルーマニアのムレシュ県トゥルグ・ムレシュに生まれ、6歳から卓球を始めた。1981年、1982年に国内選手権で優勝、1983年ヨーロッパジュニア卓球選手権で優勝するなど、ルーマニアでの選手時代にも成功を収めた。1983年の東京で開催された世界卓球選手権では、女子シングルスでベスト16へ進出し、世界チャンピオンの曹燕華を苦しめた。1983年のヨーロッパトップ12では史上最年少の14歳で優勝した。

しかし、当時ルーマニアの大統領だったニコラエ・チャウシェスクの下では卓球を続けるのが困難だったため、1983年にドイツへ亡命。1985年5月21日にドイツ国籍を取得し、ドイツでプレーを始めた。

ドイツでのキャリア

国籍の変更後、1985年11月からはドイツ代表としてプレーする資格があったが、1986年のプラハでのヨーロッパ選手権ではその参加が危ぶまれた。チェコスロバキアに対してルーマニアからの引き渡し要求を拒否することを約束し、ドイツへの帰国を保証した。

ドイツチーム代表として170回招集され、ヨーロッパ卓球選手権に8回、世界卓球選手権に8回出場した。1996年、2000年にはヨーロッパ卓球選手権女子団体で優勝した。ドイツ国内選手権では女子シングルスで5回、女子ダブルスと混合ダブルスで4回優勝した。 

1987年に甲状腺疾患により7ヶ月間ブランクがあったが、ドイツ国内選手権とワールドカップに出場することが出来た。 1995年のドイツ国内選手権では、出産後わずか8週間後にもかかわらずシングルス、ダブルスで優勝した。 

2009年にヨーロッパマスターズに出場し、40代でシングルスと、シルヴィア・カーンとのダブルスで優勝した。

プライベート

1987年5月、彼女の両親と妹のロビンがドイツに帰化した。1994年8月に、ブンデスリーガ2部の元ハンガリーのサッカー選手と結婚した。スティーブンという息子がいたが1995年に離婚した。2003年以降、ハンガリーで卓球教室を開いている。

1986年に彼女は彼女の伝記 (出版社 Ingrid Weber-Söhnen、1986年、ISBN 3926282002) を出版した。

主な戦績

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