オシム騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:24 UTC 版)
1次リーグ敗退という結果でワールドカップドイツ大会から選手達が帰国した2006年6月24日の記者会見上において、川淵はジェフユナイテッド市原・千葉監督(当時)イビチャ・オシムがジーコ日本代表監督の後任候補の一人として交渉中であることをマスコミの集まる中で示唆する発言を行った。尚、この記者会見の裏で田嶋幸三(当時・技術委員長)から「世紀の失言」と釘を刺される。このことにジェフ側は交渉の事実を否定したが、翌日になってジェフ社長淀川隆博が交渉の事実を認めた。なし崩し的に監督を横取りされたような形となった一部ジェフサポーターがTVインタビューにて不満を見せ、また大きな物議を醸す。結果、マスコミの関心は「ジーコ・川淵体制の総括」よりもオシム新体制へと集まり、サッカー専門誌などでは協会に対して事の経緯と顛末に苦言を呈する記事が載った。
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